現代造佛所私記 No.48「朝のルーティン」

「朝だよー」

まだ薄暗い部屋で、娘を起こす私の声かけに、もぞもぞと眠たそうにうごめく小さな体。目を閉じたまま、ゆっくりと私に身を寄せてくる。

「大好きたっち」
それは、娘が赤ちゃんのころから我が家にある、朝一番のハグ——からの立ち上がり。起床のスイッチとして、今も変わらず娘はこのハグを通して一日を始めている。

体の芯を夢に浸らせたまま、なんとかして私に抱きつこうと頭を持ち上げる。私の肩をめがけてようよう腕を持ち上げ、むにゃむにゃと「だいすき」と言いながら抱きついてくる。起き上がる直前のひととき、二人でハグして立ち上がりの準備するのだ。

最近では、いろんなことが一人でできるようになってきた娘。ほんの少し前まで化粧室にも「ついてきて」と言っていたのに。喜ばしいことだけど、どこか寂しい。成長のまぶしさと、手を離れていく予感が、いつも一緒にやってくる。

本人が「恥ずかしいから、これコラムに書かないでね」と言うので、「うん、書かないから安心して」と返すと、残念そうな顔。少し思案してパッと顔を上げ「書いてもいいよ!」と。むしろ書いてほしいという。

それを見て、ああ、この子はちゃんとわかっているんだなと思う。私がどれほどこの時間を、大切に思っているか。

近頃私は、少しだけ後ろめたさを感じていた。仕事が立て込んで、娘が帰宅してもパソコンから離れられない日が続いた。「ちょっと待っててね」と言ってしまう場面が顕著に増えた。

母親への理解を示し、「うん、わかった」と言って戻っていくその小さな背中。少し寂しそうなその姿は思い出しても涙が出そうになる。

もっと、ぎゅっと抱きしめたい。もっと、顔を見て話したい。たくさん一緒に笑い合いたい。

そう思ってからは、ほんの数分でも、手を止めて向き合うようになった。話を聞いて、ダンスに手拍子して、写真を撮って。後悔したくない、その一心だが、きっとこの積み重ねは、未来の私から感謝されるだろう。あっという間に成長していく娘を見て思うのは、今の彼女は本当に今だけなだ、ということだ。十分注意を注ぎたい。

関わり方は年齢に応じて変わっていく。でも、この朝の「大好きたっち」だけは、赤ちゃんの頃から何一つ変わらない。

どんなに忙しくても、朝のこのひとときがあることで、私は一日をまっすぐに始められる。

洗面所まで寄り添って歩き、洗顔で目が覚めた娘は私からぱっと離れて食卓へ向かう。その背中を見送るたびに思う。この小さなルーティンが、いずれ思い出として心の中で輝く日が来るのだろうと。

今はまだ、この朝の時間は、日常としてある。
きっと私は、この記憶に、ずっと助けられていくのだと思う。