森の気配、鳥の声を数メートル先に感じながら、今日もしたためている。
最近のお茶の稽古で、床の間に「山呼萬歳聲」という書画が飾られていた。水屋には、中国の故事と禅語の両方から解説する本が開かれていて、金色の栞が目印に添えられていた。
「さんこばんぜいのこえ、やまはよぶ、ばんぜいのこえ」
小さく胸元で呟きながら目に焼き付ける。生きとし生けるものの生命の躍動やその喜び、全てが一体になった法悦、悟りの境地。
久々の長緒の扱いにやや手間取りながらも、抹茶のふっくりとした茶の香りに深呼吸しながら点てたお濃茶。
「よう練れちゅう、おいしい」
正客役の姉弟子が仰る声に、思わず頬が丸くなる。
「猫がなきゆうね」
外で猫が甘えた声で鳴いて、茶室に彩りを添えた。
私は点前座に正座して何を見るでもなく釜や水指、棚をとらえている。茶釜の中で湯がシューと湧く音、かすかな衣擦れの音や、茶碗を扱う音が聞こえた。足が痺れてきたけれど、気にしない。
お茶碗を洗う際の上体の角度、手の位置を師匠に修正していただくと、呼吸と共に「ここ」と体に刻む。
点前の15分の中に、これまでの稽古が沈殿し醸成されたもの、日頃の在り方が現れる。飾ることもできず、つくろうこともできない。
「茶人は足を大事に」
師匠が昔仰っていたが、恥ずかしながら、いまだに歩数を間違える。まだまだ先は長い。
そしてそれがまた、幸福に思える。
そんな稽古から帰宅すると、ポストに木札が届いていた。
「表千家准教授 吉田宗菊」


