あらかじめ決めた時間に、手を止めることのなんと難しいことか。
キリの良いところまで。
もう少し目処がつくまで。
そうやって夜遅くまで仕事をする癖が、長いこと身についていた。
気がつけば睡眠不足。
いや、睡眠負債と言った方が正しいかもしれない。
座っている時間も長い。
年齢のせいばかりにはできない身体の不調が出始め、この数ヶ月は生活を見直している。
まずは二十時半にスマートフォンを置くこと。
次に二十二時半には床に就くこと。
そして今取り組んでいるのが、ポモドーロ・テクニックを使った「座りすぎ」の改善である。
二十五分作業し、五分休む。ただそれだけのことなのだが、これがなかなか難しい。集中している時ほど、タイマーを止めた後も、仕事を少し続けてしまう。
「あと少し」「ここまで終わらせたい」そんな思いがむくむくと湧いてくる。
タイマーが鳴って手を止める。そのわずかな間の葛藤——これには覚えがあった。
二十年ほど前、まだ作家秘書として働いていた頃のことである。
当時はポモドーロ・テクニックなど知らなかったが、私はよくタイマーをかけて仕事をしていた。理由は少し変だったかもしれない。
ある日ふと、「もし今この瞬間、突然死ぬことになったらどうなるだろう」と思ったのである。
その時が不意にやってきたら、「あぁ、この仕事だけは終わらせたかった」と、うまく気持ちが切り替えられない気がした。大切な人や大切なことを思い出す余裕もないだろう。
だから私は、自分で区切りをつける練習を始めたのだった。
とにかく、途中でも手を止める。続きを残したまま席を立つ。終わっていなくても、いったん離れる。そんな小さな訓練を続けていた。
今日、久しぶりにそのことを思い出した。
タイマーが鳴るたびに、集中の余韻が糸が切れた凧みたいにくるくると回る。甘美な集中の世界から離れ難いが、ただその余韻の動力が切れるのを待つ。すると、それまで聞こえていなかった音が耳に入ってきた。
朝はキセキレイの可愛らしいリズミカルな声。
昼には風が木々の葉を揺らす音や、遠くの農作業の音。
夕方になると、また違う鳥が鳴き始める。
虫の声も少しずつ存在感を増してくる。
山に暮らしていると、こうした音はいつもそこにあるけれど、忙しくしている時は聞こえない。
二十五分ごとに立ち止まった今日は、一日の音の移ろいがよく見えた。
朝から昼へ。昼から夕方へ。光が変わり、風が変わり、鳴く鳥が変わる。
人生にも、仕事にも、本当の意味で「キリの良いところ」などないのかもしれない。
本日最後のタイマーが鳴った。私は仕事の続きを残したまま椅子から立ち上がる。
椅子を離れると、鳥の鳴き声に耳を澄ませた。

