現代造佛所私記 No.465「ささやかでも、土とともに」

一昨年採ったパクチーの種。昨年採った、バジルの種。

先月プランターに撒いて以来、すくすくと育っている。本葉も元気に開いた。

他の植物に比べて発芽率が落ちるパクチーも、どんどん芽を出し、あっという間に密集してきた。

以前、同じ時期にパクチーを育てていて、梅雨の時期にあっという間に虫たちのビュッフェになったた苦い経験がある。今年は虫が来にくい草むらから離れた、程よく日当たりの良い場所に置いている。また、プランターの地面への直置きをやめた。

間引いていると、独特の香りがフワッと立ち上る。小さくとも、香りは一人前だ。家族の大好物のメニューが頭の中に次々浮かんでは消えていった。

種をとって、それを蒔いて育て、美味しくいただく。その循環のなんと豊かなことかと、噛み締めながらスコップを動かす。

土に触れること、土の上を歩くことも、人としてすごく大切なことなのではないかと最近強く感じている。

子どもの時は、当たり前に泥んこ遊びをしていたが、都会暮らしをしていた時は土に触れる機会が本当に少なかった。出張も引っ越しも多く、長いことどこか根無草のような気持ちでいたが、土に触れている最近は、それを忘れていた。

理由はわからないけれど、土に触れることで、何か根付くような感覚が戻ってきたのだろう。

今は畑はしていないけれど、プランターだけでも土に触れる喜びは十分享受している。きっと、性分として農耕民族なのだろう。

間引いたバジルたちは、他の鉢に植え替えた。そのまま弱ってしまわないか心配したが、葉をピンと伸ばし、すっくと立っていた。

健気な、生きる姿にも、なんだか励まされるのである。