「高知に、他に仏師さんはいらっしゃいますか?」
よく訊ねられることの一つだ。
高知はもちろん、日本に何人仏師がいるか、正確な数はわからない。同じ業態であっても仏師とは異なる立場で造仏をする人もいるし、答えに詰まってしまう。
ただ、東京にいた頃から、「仏師に会うのは初めて」という人がほとんどで、それは四国に来てからも同じ。造仏を生業としている人は、きっと多くはないのだろう。
2017年、私たちが高知に移住した時のこと。文化財関係の人も、仏具屋さんも、「高知に仏師はいない」と口を揃えていた。
しかし、実は、昭和の時代に、高知に吉本政之さんという仏師がいた。
昭和54年の高知新聞の記事が手元にある。
高知工業高校を卒業後、龍谷大学で哲学を学び、京都や奈良の仏像に魅せられた吉本さんは、大仏師・松久朋琳師の門下生になった。
十年間の修行ののち、高知県南国市で独立。当時32歳。夕方四時ごろから明け方まで部屋にこもって作業していたという。
一体当たり3ヶ月から4ヶ月かけて、次々と作品を作っていた。新聞にも掲載され、個展も開催していた吉本さん。
「いくら彫り直しても満足の行くものはなかなかできません」と取材に応じている。職人らしい、実直な言葉だと思う。
だけど、その後どのような活動をされていたのか。足跡が掴めない。
2017年、「高知に仏師はいない」と言われていた。吉本さんのことを知る人に会えず、吉本さんご自身も、古希となられる頃。もう活動はされていなかったかもしれない。
私たちは当時、西に東に車を走らせて、お寺を回ったり、お仏像を拝観しに行ったりしていた。そこで車のナビで出てくる「佛像彫刻所」を見つけた。Googleの表示では、「閉業」となっていた。
その南国市の「佛像彫刻所」こそ、吉本政之仏師の工房だったのだ。
正統な技法を習得し、故郷で活動していた仏師。そして、優しいお姿の仏様を残した仏師。きっと、吉本さんご自身も誠実な優しいお人柄だったのではないだろうか。
なぜ、知られなかったのだろう。
新聞に掲載され、個展も開き、確かな技術を持っていた。
吉田仏師は、新聞記事や作品集を手に取りながら、「他人事とは思えない」と呟いた。同じ苦労をしている仏師として。
職人が良い仕事をすることと、その存在が社会に知られることは、必ずしも同じではない。良い仕事をするのは当然のこととして、それだけでは埋もれてしまう現実は、インターネット登場前からずっとある。
PRプロデューサーとしても、仏師の妻としても、その現実に向き合ってきた。
吉本仏師と私たちの違いは、インターネット、SNSがあるかどうか、それだけかもしれない。
立派な菩薩様のお写真を拝見しながら、吉本仏師の胸中を思う。
吉本さんのような仏師の存在が、職人の存在が、世界に知られるようにしたい。その尊い手仕事が消えないように。
このコラムも、その営みの一つ。
そして、読んでくださったあなたに、心からの感謝を捧げたい。


