朝食の準備ができてから、氏神様のもとへ。
今日は月詣りの日だ。結婚してから、よほどのことがない限り夫婦で参拝している。
今年も、桜の季節が通りすぎようとしている。鳥居の脇には葉桜が爽やかに揺れていた。
人が集うのは年に二度の大祭ぐらいで、一人、また一人と集落から姿を消していく中、月詣りに来るのは今日も私たち二人きりだけのようだ。
拝殿で祝詞を奏上し、龍笛を執る。
夫と演奏曲を軽く相談し、越天楽を一曲お供えした。
去年の4月15日はよく晴れていて、夫は楽箏を抱えて石段を登ったんだった。御神前で一緒に平調のしらべを奏でられた時間は、本当に幸せだった。
そんなことを思い出しながら、雨に濡れた石段をゆっくりと上ると、周囲の空気が少しずつ変わってくる。
しっとりと湿った大地の匂い、杉の香、鳥の声。
この神域だけ、時間の流れが違うようだった。
龍笛を奏で始めると、いつもすうっと通る風を感じる。
「全体を見て。遠山の目付けで」
師匠の言葉が思い出され、ふっと体の外の空間に意識を委ねた。
音色が笛の内を震わせ、葉桜の梢をかすめて、ひと筋空へと昇っていく。
音を外さぬようにと思うと、かえって心も体もこわばる。「神様にただ自分を差し出せばいい」と思えたとたん、笛の音がどこまでも伸びていった。
この場所で、何度こうして吹いてきただろう。
夫と二人、神前で日々の感謝をお伝えし、祈りを重ねる時間は、私たちの暮らしに深く根を下ろしている。
人知れず、ただここに祈りと音を置いて帰る。
その積み重ねが、なにか大きなものを整えてくれるような気がする。
鎮守の森の榊をいただいて、自宅の神棚に飾っているのだが、何本かから発根した。そのうちの一本を、神社の脇のポッカリ開いた空間に植えてお返ししたのだが、今日もスクスクと育っていた。その姿を見るのも楽しみとなっている。
来月は、もう立夏。
葉桜の若草色が濃くなった様子を想像しながら、光を背に川辺を歩いた。
さて、朝ごはんだ!