「ほたる、ほたる」
夕食後の片付けをしていると、娘が靴に足を滑り込ませて、つま先を床でトントン鳴らした。
夫の先導で、真っ暗な霧雨の玄関先に出る。私は、台所の電気を消してしんがりを務めた。
あぁ、またこの季節が巡ってきた。この時期が近づくと、大家さんも川縁の草刈りを控えておられる。蛍のためかどうかはわからないけれど、青々と繁った草のどこかで守られ、虫たちが育まれている。
月光も、街灯もない、20時まえの山の中。その中に、小さく星のように光るあの生き物が、すいすいと流れ星のように漂っていた。
毎年、5月半ばを過ぎると家の前の小川に現れる。19時に太陽と入れ替えに、どこからともなく姿を見せる、その登場もなんとも言えない趣がある。
「一、二、あぁ四匹くらいいるね」
暗闇から、夫の声が聞こえてきた。
「ほたる、星みたい!」
私に抱きつく娘も、声を弾ませている。
その目の前、10センチほど近くまで、すいーっと一匹やってきて、ふわん、ふわんと舞った。
「今年もきたよって言ってるね」
「待ってたよ」
「おかえり」
口々に、蛍に語りかけた。
虫たちの大合唱の中、黙って舞うほたるたち。梅雨の直前の特別な、生演奏のバレエのソワレである。
大学生の頃、まるで映画のワンシーンのようだと、その美しさにとても感動した、与謝野晶子の一首を思い出す。
「うすものの二尺のたもと滑り落ちて蛍ながるる夜風の青き」
ほたると人の、親しい距離。


