私のMacbook airは10年選手。
いよいよガタがきていて、1ヶ月ほど前からキーボードの反応が鈍くなり、この1週間くらいは一部のキーが全く反応しなくなった。
再起動しながら騙し騙し使っていたが、パスワードにも含まれる文字が反応しなくなり、重い腰を上げた。
まずは手元の環境で乗り切れないか、試してみる。
パスワードを変更し、外付けのキーボードを探した。家電量販店に駆け込むと、思った以上に安価な商品を紹介していただいた。ただ、Macでも使えるが、基本はWin仕様と言われ考えてしまった。「……と言っても、Mac用のはうちは置いてないんですよね」そう言われて、即決した。
今日にでも買って帰らねば、仕事に支障が出る。Winはかれこれ18年使っていない。すっかり忘れている操作もあるが、なんとかこうして執筆している。
タッチも慣れず、価格なりの感触。それもそのうち慣れるだろう。とにかく安価に文字入力ができる環境を手に入れられたことに安堵した。
昔の人なら、きっと手書きでノートや原稿用紙に書き続けているのだろう。でも、話すように入力でき、簡単に編集・校正できるデジタル環境に慣れてしまって、もうその時代に戻りたいとも思えない。
ただ、手帳だけは手書きだ。デジタルまみれの私も、20時半を過ぎれば手書き派になる。
書くこと、それが私の仕事の大部分を占めている。パソコンはその支援マシンだ。
一方、夫はそもそもパソコンに一切触らない。だからキーボードの不具合は、彼の生活にも仕事にも何の影響もない。だが、彫刻刀に不具合があれば、すぐさま対策を講じるだろう。道具の優先順位は、その人の仕事そのものだ。
今朝、夫婦で”老害”についてのテレビ特集を見ていた。「ITに苦手意識がある」という項目があって、夫は「苦手意識がある……」とつぶやいた。
でも彼は、苦手というより、ほとんど関わりのないところで人生を過ごしてきた。苦手も何も、必要性を感じていないのだ。
「僕には無理だろうな。パソコンをやれって言われても」
「私も、柾目と逆目はわからないし、木取りもできない。どうやって仏像を彫るのかわからない」
そう言うと、それはそうだ、と笑った。
「苦手だから触らないというより、役割分担だね」 そう話したことだった。


