現代造佛所私記 No.435「余白」

地元でさまざまな業種を営む人との交流会。解散間際のことだった。

部屋が割れんばかりの賑わいが冷えた夜の空気にとけ、さっきまで笑い合っていた人たちが、それぞれの夜へと散ってゆく。再会を約束して。

名残惜しさと解放感が入り混じったような空気のなかで、何人かと名刺を交わした。

「へぇ……」と彼は呟いて、名刺に目を落としたまま少し間を置いた。同じ市内に暮らしながら、私たちのことは初めて知ったのだという。顔は笑っていた。面白がっている、という笑顔だった。

その間は、思いのほか長く、どんな思いを巡らせていたのだろうか。それまでよりずっと親しげな表情で顔を上げた。

私自身の反応が新鮮だった。ちっともしょんぼりしなかった。この小さな街でさえ、まだ届いていない人がいる。仏師の工房が山の中にあり、雅楽が演奏され、一刀一刀手彫りで仏像が生まれていること。そこにまつわる悲喜こもごもを、まだ知らない人が、こんなにいる。

彼は今夜、そういうものがあると知った。私も、彼の物語の端に少し触れた。次に会うときはきっと別人のように見えるだろう。男子、三日会わざれば刮目して見よ、と手を振りながら胸の中でつぶやいた。

余白だ、と思った。私は余白というものが好きだ。可能性の親戚だ。

PRという器の大きさを、教えてくれた五月の夜だった。