今日は茶道の稽古だった。
炉から風炉に変わる季節の変わり目、体が覚えていたはずの所作が、抜け落ちていたり、炉の手順と混ざってしまったり。
帰り道、「あぁ、基本の型をもう一度振り返らねば」と思いながら帰宅した。
「おかえり!この問題、結構できたよ!」
娘が、日中取り組んだワークブックを手渡してくれた。
反省の多い稽古の後、娘の前向きな笑顔が心に沁みた。
今年度、1日1時間ほど、娘と「宝探し」をしている。
1ヶ月ほど前、学校から持ち帰ったプリントに、いつになくお直しが多かった。「一緒に見ようか」と誘うと、戸惑いながら娘はうなづいた。
そして気づいた。一字書くたびに「これ、合ってる?」と私を振り返る。間違えることをこんなにも恐れるようになっていたなんて。いつからだろう。
四歳の頃は、かなり個性的なひらがなを喜んで書いて、いろんな人に自由に手紙をしたためていた、あの頃の娘はいない。
だけど、「間違えることは恥ずかしいことじゃないよ」と言葉で伝えても、なかなか恐れを手放せない。
そこで誘ってみた。「間違えたところはね、宝のありかを教えてくれるんだよ。一緒に宝探しの冒険をしよっか!」と。娘は、パァッと顔を輝かせて、大きくうなづいた。
すぐに文房具店に行き、気に入りのノートを買ってきた。
「ぼうけんノート」と書かれたその中には、間違えた問題が宝物として書かれていく。
そうすると、娘は間違えた時に「Yちゃんのお宝発見!」と言うようになった。
この方法は、私が中学生の時、社会の先生が教えてくれた方法だ。高校受験、大学受験、国家試験、資格試験と、ずっとやり続けてきた。娘に合うかはわからなかったけれど、「恥ずかしい、怖い」が「お宝だー!」に変わった。
もう退職された先生へは、お会いするたびに「あの方法に何度も助けられました」と報告していたけれど、また一つ、報告することが増えた。
守破離という言葉を、稽古の中で幾度となく体感してきた。今の娘はまさに「守」の時期。解き方の型を身につけることをベースに、応用問題でいくつかの基礎を組み合わせて解を求める練習をしている。
GW真っ最中の今朝、「朝はパンケーキ一緒に焼こうか」と娘を誘った。
喜んで台所に立つ彼女に、小麦粉を320gはかってもらい、豆乳は180ccの倍入れてね。とフライパンやお皿の用意をしながら娘に話しかける。
彼女は気づいていないけれど、昨夜の算数の復習をしている。数字の並びの法則、3けたの掛け算。
そして、今夜も、夕食後は娘が取り組んだワークブックのお直し。
正解したらハイタッチにハグ。間違えたら「お宝発見!」とサムズアップ。
宝探しをしながら、私も生活の中の算数を再発見している。
飽きるまで、一緒に遊ぼう。


