1000日コラムチャレンジ、気がつけば40日が経っていた。
昔、小学校の宿題で「100日間、何かを続ける」という課題があった。私は4コマ漫画と同音異義語を毎日書き続けていた。
担任の浜地先生が、「なんでもいい」とおっしゃるから、その言葉通り、自分がやりたいこと、続けられそうなことを選んで取り組んだ。
苦しかった思い出がないのは、テーマの設定が合っていたことと、何より毎日赤ペンで感想をくれる先生の存在が大きかったと思う。
「たった一人でも、たとえ下手でも、必ず読んでくれる人がいる」
それがどれだけ力をくれるのか、11歳の頃に経験できたことは宝だ。
今のチャレンジは、どうだろう?考えるより先に始めた挑戦だった。今も、なぜやっているのだろう?と思うこともありつつ、淡々と続けている。
ちょうど40日目を過ぎたところで、振り返ってみたいと思う。
最初は「何を書けばいいのか」とじっとパソコンと睨めっこしていた。30分の時間制限で520字を書く。そんな条件を課していた。
最初の2週間くらいは、テーマが決まらず悶々とする時間が長かった。
しかし、書いていくうちに、どんどん書きたいことが溢れてきた。
工房の音、香り、大好きなお茶や雅楽、家族やペットとの時間――日常のなかに、小さな“物語の種”がいくつも眠っていたことに気づいた。字数も、520字を超えて、大体800〜1000字となっている。
胸の内を曝け出すことに怖さもあった。でも、言葉にすることで、その怖さが少しずつ霧のように薄れていった。不思議と、書くたびに自分自身が整っていく感じがある。
ありがたいことに、読者の声にも支えられている。SNSでのあたたかなコメント、直接いただく感想、クライアントさんから「4分で読めて深い。読後感も良いですね」と褒めていただいたことも。夫も娘も、毎回楽しみに読んでくれている。
そして何より大きな支えになっているのが、1000日チャレンジを一緒に続けている仲間たち。月に一度のミーティングでは、お互いのチャレンジにフィードバックを送り合い、励まし合った。その存在があるから、「私も続けよう」と心から思える。孤独だと思っていた書くことが、誰かと心でつながる手段になっていく。
この先に、どんな言葉が生まれるのか――まだ見ぬ世界との出会いが楽しみでならない。