現代造佛所私記 No.38「誕生仏と茄子」

今日は花まつり。お釈迦さまの誕生日だ。

夫と娘は近くの寺の花まつりに出かけたが、私は外せない仕事があり、気づけば夕刻を迎えていた。お下がりの甘茶をいただきながら、一息入れる。

例年、我が家では筍=仏影蔬(ぶつえいそ)を誕生仏の代わりに、春のしつらいを整えてきた。

今年はふと思い立ち、娘に「誕生仏を作ってもらえないかな?」と声をかけてみた。すると、パッと目を輝かせて承諾してくれた。

お店で紙粘土を物色し、「これだ」と思うものを手に取る娘。春休み最後の週末、机に向かって製作が始まった。彼女にとっては、春休み最後の大プロジェクトだった。

四時間ほど経ったころ、あまりに静かなのでそっと覗くと、仏師の父と同じように黙々と、そして夢中になって作業を続ける背中があった。

完成した小さなお釈迦さまは、小さな体に朗らかな表情を湛え、右手を天に、左手を地に向けて立っている。足元の台座には、一枚一枚丁寧に作られた蓮弁が貼りつけられていた。

そして、頭頂と胸元にリボンがあしらわれている。「現代に生まれていたら、お釈迦さまもリボンやレースのついた産衣を着せてもらっただろうね」などと話したりした。

そのほかにも、随所に娘のこだわりがにじんでいる。

娘は四歳の頃から仏像の絵を描き、小学生になると仏像の本を開いて、特徴や作例をノートにまとめるようになった。その積み重ねが、造形にも自然と現れているのだと思う。

朝、家の前で摘んだ花を葉とともに器にあしらい、その中心に小さな仏さまを迎えた。花を供え、香をたき、お釈迦さまに静かに心を寄せる。

すると、猫のウニがいつの間にか現れ、飾りのまわりをくるくると歩きはじめた。無邪気な笑みを浮かべたお釈迦さまと、しなやかに歩く猫。春の光に包まれた、なんとも優しい光景だった。

お寺から帰宅した娘は、飾られた誕生仏を見て「あっ!すごい!!」と声を上げて喜んだ。そして、満足そうに友達と連れ立って再び遊びに出かけていった。

仏像をつくる時間も、友達と過ごす時間も、どちらも娘にとってはかけがえのない「いのちのよろこび」なのだろう。

子どもの手作りのお像や、家にあるもので整えるだけでも、如来を讃え命を喜ぶ春になる。これもまた、わが家らしい花まつりの迎え方だ。

そこへ、玄関先から声がした。
「吉田さーん!おるー?」
娘と入れ替わるように現れたのは、近所の元気印、80代の男性。

「おったかえ!わし困っちゅうがやけど、助けてくれ!」と、胸を押さえるような仕草に一瞬ぎょっとする。

すわ、心筋梗塞か!?と駆け寄ると、「ナスをようさんもろたき食うてくれ!ワハハ!!」とレジ袋を差し出した。

「もう、ほんまにびっくりしましたよー!!」
ホッとして笑う私に、袋いっぱいのナスを手渡しながら、おじさんも大笑いしていた。

キャップを目深にかぶり、「わしゃーこの数年風邪もひかんき!」とご機嫌な足取りで帰っていくその背中を見送りながら、私はふと考える。

このナスも、お釈迦さまの足元に供えてみようか。これが本当の“敷茄子”?――などと、花まつり帰りの陽気さにあてられ、ダジャレが口をついて出た。

あなたも、よき花まつりの日を!南無釈迦牟尼仏。合掌。