嘘だ、と思った。
突然の別れを、受け入れるのはむずかしい。
体に触れれば、まだ温もりが残っている気がして、目を閉じれば、いつもの声が聞こえてくる気がした。
段ボールに毛布を敷き、そっと体を寝かせる。
どうしても出かけねばならず、「しばらくそこで寝ていてね」と、声をかけた。「ごめんね、日華ちゃん」と続けた声は、うまく出なかった。
夫が話してくれた。昨日の様子、いつもと違うちいさな異変。不幸な事故だった。
「守ろうと思えば守れたのにな……悪かったなぁ、日華……」
ふだんは感情を外に出すことのない人だ。唇をきゅっと結び、遠くを見るような目で言った。それで、すべてが伝わってきた。
子猫たちは、何を思ったのか。理解しているのか、していないのか、わからない。
けれど、以前よりもよく人のそばに来るようになった。うろうろと歩き回る様子に、もしかしたら、と胸が騒ぐ。
皓月も、いつも以上に子猫に寄り添っていた。舐め、寄り添い、遊び相手になる。特に、ロイロはいつも皓月のそばにいた。母の代わりを探していたのかもしれない。
日華は、いつも堂々とした猫だった。
お気に入りの場所は、玄関に立てかけられていた箕ざるの中。 まるで家を守る獅子のように、香箱座りでじっと佇んでいた。



「ナゴワーン」。
日華は、低く太い声で鳴いた。初めて聞いたとき、猫はこんな鳴き方をするのかと驚いたものだ。
食事中の声も独特だった。「ウニャウニャ、ニャゴ、ニャゴ」 歯が少ないせいか、よく声が漏れた。リズミカルなのがまたおかしくて、笑いを堪えきれなかった。
チュールは、包装まで食べてしまうのではないかというくらいの勢いでかぶりついた。皓月がそっと舐める姿とは、対照的だった。
その堂々たる唯一の猫・日華が、突然いなくなった。私は毎日、 運転中も仕事中も、とめどなく流れる涙で肌を荒らした。しばらく人と会う仕事がなかったのは、せめてもの救いだった。
そんなある日の明け方。
薄暗い部屋でまどろむ私の左耳元で、「ナゴワーン」という声がはっきり聞こえた…ような気がした。
「日華!あぁ、なんだ、生きてたんだね。よかったー!」と安心しかけると同時に、「いや、日華は死んだ」。現実を思い出し、起き上がって、また泣いた。
日華は、人にべったりするような猫ではなかった。けれど、別れの挨拶は律儀に来てくれたのだろうか。
「子猫たちのことは心配しないでいいよ。ごめんね、ありがとう——。」
抱きしめたいけど、跡形もなく霧散してしまった日華という命の塊。なんと儚いのだろう。
だが、縁というのは不思議なものだ。「ナゴワーン」のひとなきの響きは耳に残り、日華があけた心の穴には、一緒に過ごした日々の温かさがたゆたっている。
あの玄関先での獅子のような佇まい、低い声、舌をペロンと出したひょうげた表情を、私たちが覚えている限りずっと、思い出すたび楽しく語り合おう。
4匹と3人の生活は続いていくのだから。
夕日が眩しい晩秋だった。
