現代造佛所私記 No.32「皓月 (5)」

猫2匹との生活が始まり、家の中が狭くなった。

先住猫の皓月(雌、生後7ヶ月)と、治療中のため隔離された日華(雌、推定7歳)は、ケージ越しに微妙な距離を保っていた。

「気が合わない猫は一生気が合わない」

動物病院でそう聞いていたため、「コウちゃんにお友達ができる」と期待した私はがっかりしていた。「まあ、そのうち慣れるよ」という楽観的な夫の言葉に、「そうだ、何事も例外はある」と気を取り直したりした。

やがて、日華の駆虫が無事終わり、ケージが取り払われる日がきた。

解き放たれた日華は、ずっとこの家にいたかのように振る舞った。ソファーで堂々とくつろぎ、食事も水も遠慮なし。皓月がちょっと近づくと「シャーッ!」と威嚇した。

肝が座り食に貪欲なマダム・日華に対し、のんびり優しい皓月は気の毒だった。

自分用のフードボウルで食べていると、すでに食事を終えたはずの日華に押しのけられ餌を奪われたりした。

いつものようにおもちゃで遊んでいるだけで、日華に理不尽にも「バシッ」と前足で叩かれたりした。

日華の逆鱗スイッチは誰も予想できず、日華と少し距離をとり、身をかがめて様子を伺う皓月の姿は、ちょっとかわいそうだった。

そんな日々が2ヶ月続いた夏の日。突然、二匹の姿が消えた。

日華は床下を寝床と決めたらしく、ご飯の時間以外は姿を見せなくなった。

皓月は家の周辺から完全に姿を消した。

「そのうち帰ってくるよ」という 夫の言葉が入ってこない。家の周りを何度も探し、名前を呼び続けた。半径2kmをあちこち探したが、影も形もない。

1週間が経ち、近所の人に聞いて回った。「もうそれだけ経っちょったら、イタチにやられちゅうやろ」。 耳を塞ぎたくなる言葉に落ち込むこともあった。

SNSで見守ってくれている人から、「猫が帰ってくるおまじない」を教えてもらった。

——まつとしきかばいまかへりこむ——

和歌の一節を書いて、フードボウルを伏せ、玄関に置くというものだ。

霊界の愛猫ネットワークに頼んでくれる人もいた。猫は猫同士、地域のボス猫経由で伝言ができるらしい。そのネットワークはどうやら、霊界にまで及ぶようなのだ。

見知らぬ人々からの励ましに涙が出た。

ふと、龍笛の稽古中に、そばで気持ちよさそうに寝ていた皓月を思い出した。

猫は人間の何倍もの聴覚域を持つと聞く。そこで、山々へ向かって「家はこっちだよ」龍笛を吹き鳴らした。

そんなある日、知らない番号から着信があった。「お宅の猫ちゃん、生きてます!うちの枝垂れ桜の下で座ってたけど、山の方へ行ったよ!」

心が弾んだ。フードを持ち、急いで夫と駆けつけた。

名前を呼びながら、目撃された場所を中心に探した。しかし、皓月の姿はなかった。

喜びも束の間、集落の中で見かけることのないまま3週間が経った。

「私たち、皓月に愛されていたよね」。皓月がやってきた時から、底なしの愛情を注いでくれた日々を、何度も振り返りながら帰宅を願った。

日華は時折姿を見せた。しかし、「餌をくれる近所の人」といった、他人行儀な表情が寂しさに輪をかけた。

「生き物が居付かない家なのかな」。夫の呟きが、静かに胸に刺さった。
それでも——私たちは、まだ奇跡を信じていた。