現代造佛所私記 No.27「イストワール」

花見客で賑わう高知城を背に、吉田仏師が口を開いた。

「”四国の仏像は修復も一通り終わって、新作の仕事ももうない”って言われたんですよ」。

高知に来て丸8年。移住当時に誰かから言われた言葉を、彼は今も覚えていた。

博物館のカフェ「イストワール」。品良く整えられた店内からは、ゆっくり高知城の天守を眺めることができる。

分野が多少重なる先人と会う機会を得て、しばしの憩いの時間を過ごしていた。吉田は、飲み慣れないコーヒーを啜り、声のトーンを沈ませる。

独立以来、吉田は孤独な戦いをしている。職人ならどこかで誰もが通る道なのではないかと思うが、彼も例外ではないということだろう。

都会生活に慣れた一人親方が、高知の過疎地へ飛び込んだのだから、心だけでなく物理的にも孤独な環境に置かれているといえる。それを楽しんでもいる時もあるが。

「無名の野良仏師」。

自らのことを、彼はそう呼ぶ。孤独や重圧と同居しながら、淡々と日々彫刻刀を執る。

厳しい言葉を与えてくれた人は、私たちが飛び込んだ場所がどんなところか教えてくれた。あの一言がなければ、もしかしたらとっくに溺れていたかもしれない。

綱渡りの中でも応援してくださる人がポツポツと現れ、細々とでも仏師として生きていられるのは、本当にありがたいことだと思う。

腕一本で今の世を渡り、妻と幼い娘を食べさせる。その重圧は、時に彼の心を押しつぶしそうとする。しかし、仏を木に刻んで生きる業からは逃れることができない。

先月、雑誌の取材クルーが山の上まで来てくださった。

家族ぐるみでお世話になっているお坊さんが、縁を結んでくれたのだ。神社仏閣の特集に絡めて、吉田仏師のインタビューを企画してくださったという。

これまでを振り返り、これからのことを問われ、出てくる吉田の答えが新鮮だった。

「技術は重要ではない」

「弟子時代に見ていたのは、師匠の技術ではなく、背中だった」

仏師として、彼がこの8年をどう生きてきたのかが、垣間見えた気がした。

アイスコーヒーを手に吉田の話を聞いていた先人は、何度もうなづいて孤独や苦労に共感を示し、ご自身のこれまでの辛苦を笑って分かち合ってくださった。

あぁ、この方にインタビューが掲載された雑誌を、お渡ししたかった。コーヒーカップの底にできた茶色い輪を眺めて、唇をキュッと結んだ。

「高度成長期の昭和、造仏のメッカで活躍していた大仏師ですら、冷や飯を食う時期があったらしい」。何年か前に吉田が話してくれたことが思い出された。

自らの道を切り拓いた先人たちは、時々不意に私たち後進を励ましてくれる。

改めて確信したこともあった。

無名の野良仏師も、人と出会えば物語が動いていく。物語の中で作品が生まれ、それがイストワール(歴史)として、仏縁の中で循環していくということ。

「今日は眠れないかもね」

「そうだね」

繁華街へ消えていく先人の背を見送りながら、未来をまさぐるような胸うちの波を感じていた。