現代造佛所私記 No.26「あの日の千手様」

夜にかけて風と雨の音が強くなった。桜を散らす、春の雨だ。

「座らせて」。

書き物をする私の横に、ふわっと娘が座り込んだ。

引っ越してきた時のこと、覚えてる?と訊ねると、瞳をくるんと数秒上にむけてから、不思議そうに私の目を見た。

「ううん。覚えてないよ。」

「そっか。」

娘はだまって、持ち込んだ塗り絵に取り掛かる。

黒猫のウニが、窓辺の花瓶をカチンと鳴らした。「あっカエルだよ!」窓ガラスに張り付く白い腹を黄緑色の色鉛筆で指し、机に向き直して赤鉛筆に持ち変える。

そうか、2020年の春を娘は覚えていないのか。

興奮する猫のウニを窓から引き離しながら、「あぁ、この子(猫)もいなかったんだ」と過ぎた年月の長さを思う。

温かな海辺の町から、3月に雪が舞う山奥へ引っ越したあの日。当時は水道管の凍結にも無防備で、水道屋さんに何度か助けられた。

世の中は疫病のニュースで持ちきりで、家の中は荷解きを待つ段ボールの山。新居と作業場を整えながら、日々が過ぎていった。

当時3歳の娘は、大人の真似をして雑巾を握り、私の後を追うように床を拭いた。ぽたぽたと水をこぼしながら、「きれいになったー!」と見上げる顔が、誇らしげだった。

毎日同じ時間に町内放送が響いた。娘は、その放送を一言一句違わず覚えて、「フヨーフキュー」の口ぶりを真似てはケラケラ笑っていた。

明るい彼女とは反対に、私の心はだんだんと川底の泥のように澱んでいた。世界の混乱を映すニュースを見ているうちに、何かが膨れ上がり、行き場を失っていたようだ。

このままではいけない、でもどうすればいいのか分からない、――千手観音様助けてください…!

ある日、腹の底から叫ぶような声が聞こえた。

千手観音は子年(2020年)の守り本尊。意識していたわけではない。ただ、行き詰まる毎日の中で、「もっと多くの手があったなら」と、ただ願っていたのかもしれない。

それが、小さな転換点だった。

近所の人や家主さんが、次々と山の恵みを届けてくれた。タケノコ、山みつば、わらび、クレソン……。

刻んだみつば、煮物にのせた山椒の若葉、ふっくらとしたタケノコの香り。ひと噛みすれば鼻を抜けるクレソンの青さ。どれもが、春の気配を運んできた。

料理をし、食卓に並べ、味わう。ひとつひとつの作業が、心をほぐし、体を軽くした。千手観音の恩恵の春だった。

あれから5年。

8歳になった娘は今、私と並んで台所に立ち、料理の味見をし、食卓を整えている。

「他に運ぶものある?」

かつてゆるく絞った雑巾を握っていた小さな手が、盆をしっかり支えていることに目を見張る。

もし、我が家にとって春が千手観音の季節だとしたら。

この5年、私を支えてきた無数の手のひとつが、今は娘の姿をしているのかもしれない。

「できたー!!」

娘が頭をはね上げた。ここ数日取り組んでいた塗り絵が完成したらしい。パッとこちらを見て笑い、風のように去っていった。