ときおり届く、ドイツからの便り。 急に秋が深まったある朝、着信を告げる小さな赤い印が、デバイスの隅に灯っていた。
「あなたが作ってくれた料理を思い出して真似してみたのだけれど、やっぱりあなたが作ったもののほうがずっとおいしかった」
前置きもなく、少し前の会話の続きから始まる文面。いかにもオンラインの手紙らしい、親密で無防備な趣がある。読み進めるうちに、あの初夏の工房にひろがっていた木の香りや、夕暮れの蛍の光が、不意によみがえってきた。5月に工房にインターンシップでやってきたMariekeとのことだ。
三週間という、けして長くはない滞在だった。けれど彼女は、その短い時間のなかで、まっすぐに新しい世界を見つめていた。初めての国、初めての習慣。そのすべてに、驚くほど自然体で向き合っていた。道具の立てる音にも、食卓から立ちのぼる湯気にも、真摯なまなざしを向けていた。その姿は、いつも誠実で、美しかった。
「ボーイフレンドの誕生日に、little Japanese day をするの」と、屈託なく書かれている。ドイツ南部の茶室でふたりで一服し、夜はラーメンを食べに行くのだという。
なんという愛らしい企画だろう。異国の街角で、小さな日本を見つけ、味わい、大切な誰かと分かち合う。そうやって彼女は、自分のなかに芽生えた「日本」を、丁寧に育てているのだ。
住まいを移し、新しい工房で働きはじめたとも綴られていた。そこでも彼女は、木の声に耳を澄ませながら、あの大きな瞳で木の奥を見つめ、静かに彫り進めているのだろう。
ひとりの若い木彫家が、自らの未来へと歩き出した。その背中を思うと、胸の奥にひとすじの光が射す。出会いというものは、過ぎ去ってしまうものではなく、形を変えながら生き続けるものなのだ。彼女のなかに残った日本の記憶が、これから出会う誰かを、やわらかく照らしますように。
淡くひかるデバイスは、遠い異国の職人の姿を映し出す小さな鏡のようだ。彼女の新しい日々の風景が、そこに透けて見える気がする。
(アイキャッチは、Marieke高知最終日の一コマ)


