「またマスコミが来てくれるろう? がんばらんとな!」
高知県香南市の山あいの寺に、ひょうきんな声が響いた。檀家会でのことである。その明るい笑いに、場の空気がふっと緩んだ。私も思わず笑顔になった。仏像工房の経営者として、この一言が妙に胸にしみた。
先代住職の時代、このお寺を訪れる人は月に一、二組ほどだったという。それが今では、毎日のように参拝者の姿がある。「仁王さまの修理」をきっかけに、地域の人々が再び足を向けはじめたのだと伺っている。
この変化の陰には、寄進を受けて始まった修理事業と、お寺に関わる方々の日々の努力、そしてその過程を伝え続けた小さな発信の積み重ねがあった。
さかのぼること四十年前。風雨にさらされ、苔むし、朽ちかけていた二体の仁王像をなんとか修理したいと、三代前の住職が発願された。
しかし、修理の見積もり額はとても手が届かない。助成申請を試みるが何度も落選し、お寺の方々はもう諦めかけていたそうだ。
そのお話を伺ったのは、今から八年ほど前になるだろうか。私たちも「実現するといいですね」と心から願いつつ、当工房でお引き受けすることになるとは夢にも思っていなかった。
そんなとき、先々代のご住職の奥様が、仁王像の修理のために使ってほしいと多額の寄進をされたという。ご依頼の電話を受けたのは六年前の七月下旬だっただろうか。夫がパッと顔を上げて私の顔を見た。電話越しにも、先代住職の明るいお声が聞こえてきた。
「お願いします!」
その弾むような声を、今もはっきり覚えている。
止まっていた時計が再び動き出したかのような、最後の一つのネジがカチリとはまって全体が動き出したような感じだった。
それを機に、私たちは仕事を整理しながら、お寺の近くに工房を構える準備を進めた。
仁王像の大規模修理は、約三百年ぶりの大事業だった。
寺の周辺は、少子高齢化が深刻な山間の集落である。「私らでこの幕引きをする」と語る住民もいらした。その一方で、この大事業を成し遂げようとするお姿には、故郷を愛する心、未来の子どもたちへの思いがひしひしと感じられた。
地域を看取る覚悟と、それでもなお故郷のために成し遂げたいという願いが共にあった。
私はその姿に心を打たれ、思った。
この営みを、ただ修理するだけで終わらせてはいけない。ここに息づく人々の祈りと暮らしを、未来へ手渡す形で残したい、と。(続く)


