「これ、裏に植えたお榊だよ」
神棚に一日の終わりの挨拶をして、お供えを下げる手を動かしていたときだった。夫が荒神様のお榊を見ながら、ぽつりと言った。
以前はスーパーやホームセンターでお榊を買っていた。透明な袋に入って、値札のついたあのお榊を。けれど山奥のこの家に越してからは、一度も買ったことがない。大家さんの山からいただくようになった。その榊は、まず傷まない。なかなか枯れない。水に挿しておくと、いつの間にか白い根を伸ばしているものもあって、畑の空いたところに植えてみた。
そのうちの一本が、すくすくと育った。葉を増やし、枝を張り、夫婦でときどき「大きくなったねえ」と眺めていた。まだまだ小さいと思っていたのに。今日、夫が神棚用に剪定してきたのだという。
「わぁ、ついにデビューしたのね」
思わず声が出た。葉の一部は茶色くなっているけれど、凛として美しい。みずみずしい深い緑色で、神棚に爽やかな気配を連れてくる。山の空気を宿したまま、枯れることなく、我が家の神域を守ってくださっている。花の時期には神界の香りかと思うような香しさを添えて、小さな楚々とした姿で楽しませてくれる。
お榊とこれほど近しく暮らしたことが、あっただろうか。
購入し消費するものではなく、循環していく榊との関係。なんと幸せな関係だろうと思う。
毎朝、毎晩、神棚にご挨拶する。結婚前は一人で。結婚してからは夫婦で。たまに娘がうろ覚えの祝詞を合わせてくることもあるし、猫たちがまとわりついてくることもある。「仏師なのに神様?」とからかう人もいらっしゃるけれど、我々凡人にとって、神様も仏様もありがたいではないか。
だよねえ、と榊に親しく話しかけてしまった。榊は何も言わずに、ただそこに爽やかなままいる。

