秋冬用の掛け布団を夫が出してくれた。
天日に干し、シーツを洗い、追われるように秋支度をしている吉田家である。
9匹いたアゲハ蝶の芋虫も、一匹残された末っ子がそろそろ蛹化の準備を控え、柑橘の葉を独り占めしている。剥き出しの肌には朝晩の風が堪えるのではないかと、人間の感覚で勝手に心配してしまう。
天気や気候を司る神様が、「ガチャン」とレバーを夏から晩秋へ切り替えたような季節の移ろい。
このところの私は、急な案件がいくつも重なり、お風呂も食事も、寝床に入る時さえ、小走りするような毎日。悩む暇もないほどに、時が駆け抜けていく。そんな折、夫が何も言わず家事を引き受けてくれるのを、本当にありがたく思う。昨夜は味噌煮込みうどんを作り、後片付けまでしてくれた。
立ち止まって考えたいことも、家族のケアをしたい気持ちもあるけれど、今はただ、目の前のことに全力で向き合うしかない。
それでも、ふと天井を見上げれば、懸け仏の如来さまが穏やかにおすわりになっている。右を向けば神仏のお札が、左を向けば神棚が。手元には文殊菩薩さま御一行のクリアファイルに、「運慶講義」。
忙しく立ち回っていても、神仏は変わらずここにおわす。四方を守られているという実感が、いつでも私を静けさへ引き戻してくれる。
娘が、本番を控えた自由研究の発表原稿を、薬師如来と十二神将のファイルにしまいながら、「守ってくれているね」と言った。その声に、ホッとする。
そう、守られているのだ。
見えないけれど、たしかに、日々の暮らしの中で。


