松田先生がひとつひとつに丁寧にお答えくださる眼差しには、長く教育の現場に立たれてきた人としての温かさが滲んでいた。専門教育を受けていない私にとって、本当に嬉しい時間だった。
そして、思いがけず、お母様が表千家茶道の教授者でいらしたことを伺った。文化財の世界と、茶の湯を通してつながれたこと。長い年月のどこかで、見えない糸が結ばれていたのだと思うと、胸に熱いものが込み上げる。
そのうえ、お母様が使われていた御道具のひとつを、先生が分けてくださった。桐箱をゆっくり開けた瞬間、言葉を超えた「引き継ぎ」を感じた。ああ、手渡していただいたこの流れを、私も引き継いでいかねばならない。
先生のお父様は尺八を、お母様は箏を嗜まれていたという。ご自身もクラシック音楽を楽しまれるそうだ。文化財を考えるとき、対象そのものだけでなく、その周囲に豊かに響きあう多様な文化に触れてこそ、より重層的に見えてくるものがある——日頃からそのように考えているが、先生から肯定していただいているような気がした。
私はふと、このようなことを尋ねてみた。
「こんな過疎地の、さらに山奥に、仏師が工房を開いていて、文化財修理をしている人たちがいることを、学生さんたちはご存じないのではないですか」
「知らないでしょうね。でも、知らなければいけない。一回だけでもいいから、地方に足を運んでほしい」
先生の声は、穏やかながら熱がこもっていた。
美術館や博物館に展示されているものだけが美術、文化財ではない。人のいなくなったお堂にも、仏像がおわし、年に一度、里の人々が集まって講をする。そんな風景があることを、都会にいては想像しにくいのかもしれない。
また、保存修復学科や彫刻科の卒業生が、決して「仏師」と名乗らないこと。仏師と仏像彫刻師の違い、仏師と仏像修復師の違いについて伺った。私にとっては長年待ち望んでいた時間だった。同じ技術を提供しているようでいて、そこには見えない線引きがあることを知った。それは職域を守るというよりも、それぞれの立場で、お像の尊厳を守るという在り方なのだと思えた。志は同じくしている。専門職を育成するにあたっての重要な視点をいただいた。
昼食はオーシャンビューのカフェで。話はずっと途切れない。学生時代の思い出、未来ある学生たちへのまなざし、地域に残る文化財の可能性、そして世界中の文化財の話題に花が咲いた。
地方で小さな営みを続ける私たちにとって、この日の訪問は大きな励ましだった。松田先生の高知滞在の最終日、ご一緒できたことを心から光栄に思う。
駅でお見送りしたとき、世界を股にかけて活躍される途中で、この小さな工房を思い出してくださったことへの感謝が、静かに、胸の底から湧き上がってきた。
「文化財は愛」
松田先生が、二年前の文化財保存修復学会で学会賞を受賞された時のお言葉だ。先生との再会で、改めてしっかりと噛み締め、味わっている。
今度は、お酒がお好きな先生を、高知の酒蔵やワイナリー、ブルワリーにお連れできたらいいね。夫と話しながら駅を後にした。帰り道、車の窓を少し開けると、朝よりずっと乾いた空気が流れ込んできた。


