朝から夕方まで、お茶の師匠のお席のお手伝いに伺った日のこと。少し湿り気を帯びた風がやわらかく、よい朝だった。
「雨でなくてよかったですね」
そんな声があちこちで聞かれる、賑やかなお席。複数の流派がそれぞれにお席をもち、心をひとつに運営される大きな茶会である。
例年よりも暑い日中だったが、しつらいの中には秋の気配が満ちていた。くるくるとお手伝いをしながら、「一座建立」の瞬間が幾度となく現れては、豊かな余韻を残して消えていくのを目の当たりにした。
水屋でのひととき、ある方がふと声をかけてくださった。
「猫仏師、見ましたよ。あれ、いいですね!」
AIの世界で、仏像を彫り、弟子を抱え、ときにお茶をたしなむ猫――。最新の動画では、その猫仏師が弟子たちのためにお薄を点てている。
生成にはSora2を使った。けれど、動画づくりは、茶筅をふるよりずっと難しいと痛感している。同じようなプロンプトなのに、突然知らぬ所作が入り込み、設定のない客が座り、無言と言っているのに、喋り出す人物たち。猫仏師の顔も、たびたび変わってしまう。七度つくり直して、ようやく「まあ、見られるかな」と思える映像ができた。
だからこそ、お茶の仲間や先生方から「見たよ」と声をかけてもらえたとき、その苦心が報われるような気がした。
Facebookでは「投稿の雰囲気が変わりましたね」と言われることもある。けれど、私の中では、すべてがひとつの道の上にある。彫ることも、点てることも、祈ることも、AIで何かを作ることも。
日本の職人の手が紡いできた、手仕事の時間の底抜けの豊かさを、ほんの少しでも誰かに感じてもらえたら――。AIならで歯の猫が茶を点てるその一碗の世界にも、そんな願いを溶かしこんでいる。


