現代造佛所私記 No.226「花月と秋明菊」

本日、お茶の稽古で「花月」をした。

七事式という、集団で行う茶の湯の稽古法のうちの一つである。遊戯性があって好きなのだが、稽古する機会が少なく、ルールがまだ掴めていないというのが正直なところだ。

「折据」という、五枚の札を入れる折りたたみ式の紙箱を用いる。札を引いては点前を交代し、また引く。「花」の札が当たった人はお茶を点てる役。「月」の札が当たった人はお茶をいただく役。だから、花に月と書いて、かげつ。

集まったのは、教授者としてすでにお弟子さんをとっておられる方、上級の点前を学ぶ方、師匠の一番弟子である大先輩。そこに、歩き方さえおぼつかない私。それぞれに茶の道を歩んできた年月が違う。

けれど、ひとたび花月の座に着けば、みな平等なプレイヤーとなる。

とはいえ、やはり稽古である。先生が言葉でご指導くださり、先輩もそっと声をかけてくださる。そこには力みがなく、水が低きに流れるような自然さがあった。教えることと学ぶことが、境なく巡っていく。

私は今日、二度の点前と二度の片付けにあたった。先輩がふふっと笑って「大当たりだったね」と、道具を飾りつける私に声をかけてくださった。仕舞いの手順を進めながら、「ありがたいです」と頭を下げた。

今日も足はしっかり痺れた。立ち上がる時、緊張が走る。先生は、今日は正座の座り方までひとつひとつ丁寧に教えてくださった。この痺れも、痛みも、稽古の華だ。

札が巡り、茶碗が巡り、学びが巡る。

秋の午後、とろんとした暑めの光が差し込む縁側から障子を境に、私たちは薄暗い茶室で変わりばんこに茶を点て、いただいた。互いに教え合い、巡り合いながら、少しずつ深いお茶の世界へと降りていく。複数の先輩のお点前の見取り稽古もできる。これぞ、集団稽古のグループダイナミクス。花月の醍醐味だ。

床の間には、白の秋明菊。

小さなつぼみはぽってり丸く、白い柔らかな花びらは開いたばかり。清らかで、可憐で、そこにあるだけで空気が澄むようだった。

「今日これだけが開いていたのよ」

花月の座の巡りがやがて終わりを迎える頃、師匠が花に注目を促した。

花月を一通り覚えるにはまだ時間がかかりそうだが、秋明菊の美しさと和やかな五人での稽古の気配は、きっとこの茶室に沈殿していくだろう。