現代造佛所私記 No.222「茶名を抱いて」

ひとつの節目を迎えたように思う。

お茶の師匠が「そろそろ茶名を考えておいてね」と声をかけてくださった。その静かな声が、胸の奥でこだましている。

幼い頃、母は家でお茶の稽古をしていた。夕飯を終えて、まだ慌ただしい台所で湯を沸かし、茶碗を温め、サラサラと薄茶を点てる母の若い背中を覚えている。茶筅を軽く摘むように持って、張った肘が揺れるのをなんとなく眺めていた。

母の点てるお茶を、台所で立ったままいただく。子どもの手には少し大きい朱色の茶碗は、口作りが丸くて大きく、特別な感触がした。「苦さがおいしい」初めての体験。静かで強烈な記憶だ。

和菓子の繊細で豊かな甘みと風味、お抹茶の苦み。その対照が幼い舌には新鮮で、茶筅をふる音も心地よく、だんだんと憧れを抱いた。抱いたまんま、長い時間が過ぎていった。

高校の授業でほんの少し触れたきり、師につく機会はないまま、ただお茶が好きなだけの人であった。茶筅と懐紙、お抹茶、安価な茶碗を揃えて、家で好きなように点てて楽しむ時期が続いた。それはそれで、よい時間だったと思う。

東京にいた頃は、成城の職場近くの古民家で、定期的にお茶席が催されていた。勇気が出ずに門をくぐることが終ぞできなかったけれど、当時の私と同じような人がいたならば、ぜひ気軽にのぞいてほしいと思う。そういう場所は、きっと待っていてくれる。

誰に見せるでもないお点前知らずの喫茶習慣が、私の中に小さな茶の湯の根を育てていたのかもしれない。

東京から高知に移るとき、思いがけずご縁が訪れた。表千家のお師匠様に師事することになったのだ。初心者はもう受け入れはされていなかったのだが、紹介者がご親戚だったこともあり、特別に足の運びも知らない私をお引き受けくださった。本当にありがたいことだった。

片道二時間半、月に一度。長い道のりだったが、その旅の時間さえも心を整える儀式のようであった。引っ越しを経て、通う回数は月に三度に増え、ついに入会し、許状もいただいた。途中ブランクもありながら、それなりに年月を重ねるうちに訪れた「茶名をいただく」という節目。

名前を決めきれず、母に相談してみた。母はいくつか雅号的なものを持っていて、「ひとつは、あなたの名前から一字もらったのよ」と教えてくれた。

私も、娘の名から一字もらうことを考えた。でも、やめた。いつか娘が自らの茶名をいただく日が来たなら、そのときに気兼ねなく名乗ってほしいと思ったからだ。

それで、新たに思いをめぐらせた。辿りついたのは、実家に咲くある花の名。ご先祖にもその花にちなむ名を持つ方が多い。家の記憶とともに受け継がれてきた花の名から、一字いただこうと思う。その花の名を口にするだけで、香りや光景が胸の奥にひらく。

私の茶の湯の歩みも、そんなふうに静かに、誰かの心によき香を残すものでありたい。

名はまだ明かさずにおく。けれど、いまこのとき、自分の中に生まれつつある新しい名を抱いて、ひとつの稽古ごとの巡りを確かに感じている。