現代造佛所私記 No.220「湯けむりの中の善意」

休日の午後、家族で日帰り温泉に出かけた。
湯けむりの向こうに秋の陽が差す。日中はまだ夏日が続いているというのに、湯の温もりが体の奥まで沁みた。

お湯から上がり、棚のタオルを取りに行くと、何やら人だかりができていた。サウナを出たばかりの人が倒れたという。すでに数名がそばにいて、スタッフが走ってきてアイスノンを運び、声をかけ合っている。少し離れたところに立ち、見守っていた。

倒れた方に意識はあるようだった。涼しい場所へ移そうと、大きなバスタオルをストレッチャー代わりに、私も足元を支えて岩盤浴の待合へ慎重に運んだ。そこは静かで、ひんやりと落ち着いた空気が流れていた。

倒れた方の顔色が、少しずつ戻っていく。呼吸も整ってきた。「大丈夫ですか」と声をかけてくださる人が何人もいた。店員さんがバスタオルを持ってきて、皆で体を覆った。少しホッとした空気になった。

見ず知らずの者どうしが声をかけ合い、ただ一人の回復を願っている。その光景が、胸に残った。

特に中心にいた三人の若い女性は、見事だった。
医療者かと思えば学校の先生だという。「普段から訓練しているので」と笑っていらした。観察も声かけも的確で、ご本人はもちろん、周囲の不安もやわらいだ。きっと、日頃から子どもたちを守る覚悟で教壇に立っていらっしゃる方々なのだろう。頼もしさとは、こういう時ににじむものかと思った。

その後、倒れた方は無事にお帰りになられたと聞いた。受付で「さきほどは緊急対応をしていただきありがとうございました」と、思いがけず入浴券をいただいた。

帰路、夫が車の中でぽつりと言った。
「情けは人のためならず、だね」

本当に、その通りだ。
誰かを助けることは、めぐりめぐって自分を助けることでもある。人の間で生きるということは、そういうことなのだと思った。

今の時代、見知らぬ人に関わることをためらう場面も少なくない。けれどあのとき、ためらいより早く手を差し伸べた人たちがいた。人の善意、互いの間に宿るその力を、忘れずにいたい。

いつか自分だって、倒れる側になるかもしれない。日頃、もう少し体に気を配ろうと思った。

次にこの入浴券を使う日、湯けむりの向こうで見たあの光景を、また思い出すだろう。