夏の名残を惜しむうちに、いつしか中秋の名月である。忙しさに紛れて空を見上げることさえ忘れていた私に、娘が言った。
「お団子つくりたい」
何度目の、お月見団子だろう。四歳のときからずっと、私の真似をして小さな手でこねてきた。けれど今年はちがう。私が言い出す前に、娘の方から「つくろう」と言ったのだ。
あのときのエプロンはもう着られない。「箪笥の上の引き出しにある、白っぽいのを使って」。その一言で私のエプロンを探し当て、一人で紐をキュッと結んで台所に現れた。少し大きな布をまとった姿は、まだ幼いけれど、どこか頼もしい。
白玉粉をこねる手つきも、もう私の出る幕ではない。掌のなかで団子が転がり、綺麗なまんまるが同じ大きさで並んでいく。四歳の頃の、歪で大きさも不揃いだった団子を懐かしく思い出す。
グラグラと湧いた湯に浮かべると、白と黄色の団子がつるりと光った。「小さなお月様みたいだね」と、二人で笑顔になる。
里芋と栗を盛り、小さな庭の台に並べる。娘が摘んできたすすきを添えれば、それらしい風情になった。風が辺りの草穂を撫でて、さらさらと音をたてる。そのはるか上空に、冴えた月が浮かんでいた。
龍笛を二曲ほど吹いた。感謝と喜びを息に込めて、音色を月に捧げる。音は山の稜線をなぞるようにのびて、夜気のなかへ溶けていった。
娘は即席のストロー笛を鳴らしていた。雅楽の音色に「ぷっぷぴー」「ペーペー」と、なんともユーモラスな合いの手が入る。思わず吹き出しながらの演奏になった。
その横で笑いながら月見をしている夫に笛を渡すと、「できないよ」と言いながらも、久しぶりに息を入れてくれた。戸惑いがちな音が、また夜に溶けていく。
娘は興が乗ってきたらしい。ストロー笛をプーペーと鳴らしながら、「飛行機に乗ってる人にこの音届くかな」「宇宙人さーん」。月明かりのなかで、空と地上のあいだを自由に行き来していた。
窓辺から参加したそうにこちらを見る猫の「皓月」に気づき、夫が抱き上げて月の下へ連れ出した。十三夜にやってきた皓月と、中秋の名月、二つの月が揃った。月夜は良いものだ。
やがて家へ戻る娘の背中から、「たのしかったー」という声がこぼれた。その声が、心の奥に、やわらかい温かな風を吹かせる。
こういう時間を、こぼさないように。
皓(ひか)る月を仰ぎながら、そう思った。






