現代造佛所私記 No.218「墨の香、米の香」

メールやチャットで挨拶も事足りる時代に、和紙と筆をとる。時代遅れになりつつある行為かもしれない。けれど、こんなにも心を澄ませて、温かな気持ちにさせてくれるとは。

パソコンで文章を推敲したのち、机の上をきゅっと拭き上げ、乾いたら和紙を広げる。筆を手に執る。

手紙のお相手からいただいた新米を炊飯器にしかけていたので、背後では湯気の湿り気がやわらかく漂っている。墨の香りが手元から静かに立ち上り、新米の香りと重なりあう。どこか懐かしく、心の奥を静かに整えてくれる香りだ。

最初の一字を置くまでがいちばん間があった。そこからは、書くことよりも、相手との時間を思い出したり、いま何をされているだろうかと、思いを馳せたりする時間になる。

筆で文字を書くのは、龍笛の演奏と似ている。そんな笛の師匠の言葉がすっと蘇る。お稽古などでちゃんと習ったことのない私は、クセ字である。けれど、字が上手か下手かということより心をこめたい。そんな思いで、下手なりに筆をとっている。

書いているあいだ、時間の輪郭がやわらぐ。尊敬と感謝で満たされる手紙を書く時間。なんと幸せな時間だろう。

書き終えるころ、ちょうどお米が炊きあがった。ふたを開けると、白い湯気の向こうに、一粒一粒が光っていた。早朝に出かける明日に備えて、塩むすびを握る。米粒が掌にふれると、手紙の余韻の上に、元気な熱が加わる。

筆の墨も、炊き立ての香りも、あっという間に去っていったけれど、満ち足りた心は消えない。

拝啓、敬具。季節の挨拶と、お相手の健康と幸せを願う言葉。手紙の型のなかに、思いが流れ込む。

豊かな、豊かな、ひとときだった。