現代造佛所私記 No.153「幼虫奏者」

昨夕、考えを整理するために、散歩に出かけた。
……といっても、家の前の小川沿いの道を、ただテクテクと往復するだけだ。けれど、ずっとパソコンの前に座っているよりはましだと思い、表に出た。

夏の夕方というのは、午後と夜のあいだに現れたアディショナルタイムのような、思いがけず与えられた不思議な余白の気配がある。火照った空気のなかに、少しずつ涼しい風がまざりはじめ、西日がそのすべてを淡金色に包んでいた。

実のところ、考えを整理するためというのは、あとづけの理由だった。

「あんなに楽しくて、豊かな音楽に触れたあとでは、じっとパソコンの前になど座っていられない」

それが正直な気持ちだった。

この日、久しぶりに中村香奈子先生の龍笛のリモートレッスンを受けた。音色の余韻が身体の奥で鳴り響いていて、歩くたびに皮膚から音がこぼれそうだった。

ふと草むらに、目を引くものがあった。透明感のある茶色い塊。

「あぁ、今年はじめての……」

大きな蝉の抜け殻だった。
しゃがんで、しばらく眺めた。背中にすっと入った切れ目、艶のある殻。草が揺れても、びくともしない。命の力の、名残のかたち。

私は、こういう蝉の抜け殻を見つけるのが、好きだ。

「あなたのように、殻を破れたら」–—いつからだろう、毎年夏になると、そんなふうに語りかけている自分がいる。

7年前、プラスティックの龍笛に、初めて息を吹き込んだときのことを思い出す。

スースーと息が通るばかりで、なかなか音にならなかった。けれどあるとき、「ピーーーー」と鳴ってくれた。その瞬間の嬉しさを、今も忘れられない。

最初の課題曲を奏でようとしても、息がうまく継げなくて、頭がクラクラした時期が長く続いた。演奏の土台となる「唱歌(しょうが)」(音程や旋律を歌にしたもの)を覚えられず、途方に暮れたことも多々ある。

お稽古を重ねても、音はまだ固くて幼い。けれど、ただただ楽しくて、いつも笛と一緒にいる。

伸び悩む私を、師匠の香奈子先生は、いつも画面の向こうから、優しく、そして丁寧に導いてくださる。

息の制御、立体的な音色の描き方、そしてとても大切な「間」。目に見えないけれど、楽曲の印象を決める大切な要素を、何度も言い換え、工夫しながら伝えてくださる。

こちらの様子を見て、ことばを探してくださるその姿に、いつも心を打たれる。

昨日の稽古で印象に残ったことは、いくつもあるけれど、そのうちのひとつを、1000日コラムを読んでくださる方と分かち合いたい。

人の体には、「口腔」「胸腔」「腹腔」という三つの空間がある。
まずはそこを澄ませ、息が通るように整える。響きはその風に乗り、笛に共鳴し、やがて空間へと広がっていくということ。

笛の音は口先で出すものではなく、体全体を使ってこそ生まれるのだ。

人の体にある「腔(くう)」を、そんなふうにとらえたのは初めてだった。
けれど、三つの腔の「節」をしなやかにつなぎ、響かせる世界があると知ったとき、素直に「面白い」と思った。

力みから自由になること。いまの私にとって、それが課題だ。体の中の腔を包む肉や骨を、もっと信頼してみたい。

気がつけば、口元も、肩も、指も、足先まで、まだまだ固い。きっと私は、蝉の幼虫のような笛吹きなのだ。

調べてみると、蝉の幼虫の6割から7割が、羽化できずに生涯を終えるという。

蝉の抜け殻に、なぜか毎年惹かれるのは、長年土の中で過ごしたのち、命がけで変容を遂げたその証だからかもしれない。海外では、蝉の抜け殻を幸運の象徴とする文化もあるらしい。

龍笛の稽古もまた、土中の蝉の幼虫のように、長い長い、地道な積み重ねの連続だ。

昨日、香奈子先生は、画面越しににっこりと笑って、
「その時は、すぐ来るよ」
とおっしゃった。

”その時”とは、私が羽化する時のことだ。

幼虫の私は、その未来をうまく想像できない。だけど、その時を信じて、堂々と、モゾモゾと、楽しく吹いていたいと思う。

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