木槿(むくげ)の花が、小川のせせらぎに音もなく落ちる。
水の上をふわりふわりと漂う白い花弁に、夏の光が反射して清潔さを増している。
目を上げれば、渋柿の枝に、まだ青く硬い実がぽってりと膨らんでいる。ここ数年、ほとんど実をつけなかったが、今年は久しぶりに干し柿が作れるかな、とまだこぬ季節を思い浮かべる。
作業場の扉を開けるたび、燃えるような夏が通り過ぎていく。
工房では、麒麟像の仕上げが進められている。
今日は、彩色作業が完了した。
私は、仏像と神像は、木肌を生かした木地仕上げも美しいと思う。この麒麟像の表面も、ケヤキらしい艶のある深い色味や味わいのある木目が、見ていて飽きない。
吉田仏師は、今回は木地仕上げを考えていた。
だが、いつ頃からか、差し色を入れようと思い始めたらしい。
よりよい仕上がりを目指し、ほんのわずか、色を重ねることを選んだのだ。昨日から彫刻刀ではなく、絵筆を手にして、麒麟の前に立っている。
膠水に火を入れてとろりと絵皿に垂らし、指で滑らかにならした顔料と合わせて練る。
麒麟の体の上に走る火焔(かえん)の上に、下地を施し、黄色を置き、橙色を重ね、最後に朱色を乗せた。
順に彩られていく焔は、「木」から「火」へと、灼熱の風を宿し始める。
写実を求めない、ということを吉田は大事にしていた。
「情報が多過ぎないように」と。
控えめであること。強すぎないこと。
木地仕上げの持つ清澄な印象を生かしつつ、生命感を引き出すための「加減」が求められる。この度の彩色は、命の温度を、ほんのわずかに灯す行為である。
火焔のほか、口腔内、歯牙も彩色し、筆を置いた仏師が小さく頷いた。
「これでいいかな」
そして、さまざまな角度からその調和を確かめていた。
麒麟という存在は、私たちの身近な自然にはいない。
けれど、その想像上の獣が、どこか現実の息吹を帯びていく。一歩間違えば、作為の色に沈んでしまうだろう。だが、控えめな彩りの中に、その余白の中に、想像の命が宿るようだった。
作業場の扉を開けると、蝉時雨まじりのむんとする熱風に全身が包まれる。灼熱の中、小川でたゆたう白い木槿の花のゆらめきが、どこか涼しげで夢のようだった。
あぁ、あの麒麟の中に、五つの元素(木、火、土、金、水)が宿ったのだ、と気づく。
本体の木
膠を温めた火、火焔の意匠
土からできた顔料、
玉眼の金
絵の具を解いた水、雲の意匠。
麒麟像製作は、この五行の循環を見せてくれていた。


