現代造佛所私記 No.151「歩くこと」

──あなたは今日、どのくらい椅子に座っていただろうか。

このところ、気づけば数時間、同じ姿勢のまま動いていなかった。そんな日が続いている。身体が最近、教えてくれるようになった。「そろそろまずいぞ」「こわばっているよ」と。

夕方、家族で用事を済ませた後、軽く夕食を取り、近くの書店まで歩いてみた。徒歩で片道20分ほどだっただろうか。夏の夜の始まり、路地を歩くのは、ずいぶん久しぶりのことだった。

アスファルトには熱帯夜の兆しがありながらも、時おり吹く風が涼しく、あちこちから漂ってくる夕餉の匂いに幸福を覚えた。ただ歩くということが、これほど気持ちのよいことだったかと新鮮な驚きと共に。

娘も上機嫌だった。景品でもらった図書カードで、欲しかった絵本をついに手に入れられる日だった。本を見つけ、満足げにレジへ向かうその後ろ姿が、いじらしかった。

そしてその書店で、ある言葉に出会った。

Sitting is the new smoking.
Sitting is killing you.

座りすぎは、現代の新たなリスクであると、今や世界中で警鐘が鳴らされている。

調べてみると、1日8時間以上座っている人は、心筋梗塞や脳卒中のリスクが約19%、死亡リスクも20%近く増加するという研究結果がある。しかも、ある程度の運動をしていたとしても、その影響は帳消しにはならないらしい。

思えば、1000日コラムを始めてから、座る時間は格段に増えていた。昼間の仕事と家事を終えた後、深夜に原稿を書くのが日課となり、椅子に深く沈み、言葉を探す時間は幸せな時間でもある。しかし、気づけば足がむくみ、背中と腰がこわばり、呼吸も浅くなっていた。

我が家は、台所のある土間に大きな一枚板のテーブルがあって、そこを仕事机としている。椅子に腰掛け、パソコンに向かう時間はつい長くなりがちだ。

だが、土間を上がれば、畳の生活がある。団らんの時間は正座や胡座。立ったり座ったりには少し負荷を感じる。だが、それが良いのかもしれない。

長時間のPC作業を終えて正座をすると、「うう〜効くなぁ」と声が漏れるほど、脚のむくみがぎゅうぎゅうと絞られていく感覚がある。脚は悲鳴をあげるけれど、快い。

正座は、自然に背筋が伸び、骨盤が立ち、腹部が自由になる座り方だとされている。呼吸も深まり心身が整っていく気がする。

畳の足裏に伝わるやわらかな感触。それは、私の身体にとっては触り心地も、匂いも、柔らかさも、心の底から懐かしい場所だ。

吉田仏師の仕事はというと、一見座り仕事に見えるが、実際にはこまめに動いている。立ち、座り、歩き、彫る。そして時折弓を引く。弓道の鍛錬も日々の一部であり、動と静を行き来しながら身体を整えている。

坐禅にも「経行(きんひん)」という歩行の時間がある。茶席でも、ただ座っているように見えて、にじり、礼をし、道具を拝見する。静の中にも、確かな巡りがある。

つまり、大切なのは「長時間座らない」というより、「滞らないこと」なのだろう。

私自身の生活も、バランスを見直す時期に来ている。そして、原稿の執筆スタイルも。

書店からの帰り道、娘がぽつりと言った。

「コラム200日を達成したら、お祝いしようね」

そのひと言が胸に沁みた。

このコラムが、健やかに続いていくために。これからは、歩きながら書いてみようかと思ったりした。体と心を巡らせていく生活の先に、どんな景色があるのか見てみたい。

そう思えた、歩く夕べのことである。