現代造佛所私記 No.148「三日月とコントロールZ」

海岸線の国道を、西に向かって車を走らせる。

予定より2時間遅れの出発で、少し心が泡だったままハンドルを握る私の視界を、ふと広げてくれたものがあった。

日の入りと共に、すうっと姿を現した細い月。

「綺麗だねぇ!」娘が後部座席から、声を上げる。

「あぁ、三日月だね」

私たちの住まいは森に囲まれていて、日の入り後の大きな満月や、三日月は見る事ができない。新月からまもないその月を、新鮮な気持ちで目の端で捉えた。

まるで弦を張っていない竹弓のようだった。弓はご神器でもある。江戸時代頃からは、病気平癒などの願いとともに、三日月信仰が広まっていたとも聞くが、わかる気がした。

その細く、かすかだが確かな光に、始まっていく予感、というより「これから満ちていく」という確信の強さがあった。

その細く光を放つ姿に、私は父の姿を重ねて思い出していた。

80歳が見えてきた父は、今、パソコンを学んでいる。
きっかけは、地元の祭りの記録を整理し、次の世代に渡したいという想いからだった。

手書きで書かれたたくさんのメモやノートを、父は地域の先輩から預かった。それらに記された伝承の断片を、父は少しでも多く残そうとしている。

少子高齢化が進む中、住民の役割の重さも増している。せめて衣装や刀剣などの管理は、誰かが引き継ぎやすいようにと、仕組みをデータ化しようとしていた。

しかし、やりたいことが思うように進まず、時間もかかる。時々、私のもとに「ちょっと教えてくれんか」と連絡が来るようになった。

そんなやりとりが続いていたある年、コロナ禍が始まり、祭りも例年とは異なる形での開催となった。長年奉職された宮司さんの引退も重なった。伝統の踊りの灯火が、今にも吹き消されそうなほど小さくなった。

「このままではいけない。」父は危機感を覚えたようだ。祭りが縮小され、いくつかの行事は中止の話さえ出ていたそうだ。

昔と同じようにはいかない。それはもう仕方のないことかもしれない。けれど、一度手放してしまえば、永久に失われてしまうものもある。

「まだ記憶があるうちに、自分にできる限りの記録を残したい」

父はそう考えたのだった。

そこで、私も一肌脱ぐことにした。

伝統や情報が途絶えそうになった時に、形を変えながら文化財を保護し、調査し、多少なりとも記録してきた私には、記録の重要性が骨の髄まで沁みていた。

父のサポートを通じて、故郷のためにできる事がある、と思った。

そこで、父の描く完成形に近づけるために、WordやExcelの使い方を教える“家庭教師”を引き受けた。

初期設定から、キーボードの操作、ファイル整理、既存データの呼び出し方……。表の作成、更新ミスを減らす操作、便利なショートカットキーまで。一つずつ、噛んで含めるように、繰り返しり返し教える。お互いに忍耐を要する作業だったが、少しずつ前に進んでいった。

そうやって細々と続けた3年間。
今日は、その中でも大きな転機となる日だった。父が「コントロールZ」を使えるようになったのだ。

「間違えても、すぐにやり直せる。」
それを体で覚えたときの父の顔には、不安の中にも、少しだけ肩の力が抜けたような安堵があった。

私は学習の記録をノートに手書きでまとめ、父が困ったときにすぐ開ける“辞書”のようなものを作っている。一冊目がもうすぐ終わる。次のノートの準備をしながら、「3年でここまで来たんだな」と、しみじみと胸に込み上げるものがあった。

父は、私のパソコン操作を見るたびに、自分の未熟さを謙遜する。けれど、今、父の手元には、美しさと実用を兼ね備えた資料が、確かに形になってきている。

「コントロールZ」がさらに手に馴染んだら、以前よりもきっとリラックスしてパソコンに向かえるだろう。

あの月のように、少しずつでいい。確かに必ず満ちていける。

大病を経て三日月のように細くなった肩と、キーボードに対して太すぎる指を見守りながら、私もまた、自分の歩幅をもう一度確かめている。