夏の夕暮れは、独特の不思議な空気を帯びる。いつもは閉じている過去との境目がポッカリ通じたように、黒く緩い夜風の向こうに手を伸ばせば、子どもの頃の自分に触れられそうな気がする。
今宵の六畳間は、扇風機の微かな音とエアコンの作動音が響く中、どこかひそやかな、それでいて喜びを湛えた気配に満ちていた。
実母が「孫娘のために」と三年前にあつらえた浴衣。「小さくなっているだろうねぇ」と、母は娘に仮合わせする。胸の高鳴りを隠しきれない娘は、口元を緩めながらいそいそと袖に腕を通した。 姿見に映る娘に、「大きくなったね」と声をかけると、顔をくしゃっと崩して、はにかむように笑った。その屈託のない笑顔が、薄暮の部屋にパッと灯る。
その浴衣姿に、娘の成長をありありと見る。 肩幅はぐんと広がり、肘先は袖からにょっきりと伸び、日焼けした健康なふくらはぎが、膝下からたくましく覗いていた。 かつて小さな体にゆとりを持たせていた肩と腰の縫い上げ。いよいよ解く時が来たようだ。
母がハサミを持ち出し、チョキ、チョキと小気味よい音を立てて糸を切っていく。だんだんと解けていく縫い上げを見るにつけ、胸の奥の何かがシュワシュワと溶けていくような感じがした。
一昨年は少し大きいけれどとそのまま着せ、昨年は腰の縫い上げを調節した。それが今年は、とうとう全てを解くことになったのだ。
帯も、これまでのへこ帯ではなく、私の薄黄色の帯をしめた。まるで時が加速度的に進んでいるかのように、娘の成長を間近に感じる。
そんな中で、変わらず娘が身につけてくれたのは、私の手作りの赤い牡丹の髪飾りだった。新しいものに目を奪われがちな年頃だというのに、変わらず気に入ってくれていることに、どこか安堵を覚える。
「来年はもう着られないなあ」。そう呟いた時、心に去来したのは、寂しさよりも圧倒的な喜びだった。 浴衣や下駄といった日本らしい装いを、娘がこれほどまでに好きになってくれたことへの嬉しさ。
夏祭りに行けない私を気遣ってか、娘はキッズカメラを嬉々として取り出し、「花火の写真、撮ってきてあげる!」と出かける支度を始めた。私が付き添えないことで拗ねるどころか、「写真、楽しみにしていてね!」と、逆に祖母を急かすように連れ立って出ていく後ろ姿。

私は、父に簡単な夕食を用意し、ささやかな晩酌に付き合った後、仕事に取りかかった。しばらくすると、時を告げるかのように、「ドーン」と空気を揺らす、最初の花火の音が響いた。
二十時三十分。床から足裏へとかすかなビリビリとした振動が伝わってくる。誰もいない二階に上がってみた。廊下沿いのガラス窓に、パッと赤く光が写り込み、チラチラと反射していた。
ヒューという打ち上げの音に続き、再び「ドーン」という重い音が重なり合う。私はしばし、誰もいない二階の窓の前に立ち尽くし、夜空に広がる花火を眺めていた。
一人で花火を見るのは、人生で初めてのことだった。
その音と光景は、遠い子供の頃の記憶を呼び覚ます。なぜか祭りの会場に行かず、縁側で親と並んで花火を見ていた夜。風邪でも引いていたのだろうか。あの時に見た花火の光と音、そして夜空が、今夜の花火と重なるようだった。
高知、徳島、大阪、東京──場所は違えど、夜空の景色はいつも同じだった。今は亡き祖母や、大叔母たち、両親、友達、夫、そして娘と、人生の節目節目で隣り合って見上げた夜空。遠い日の花火は、今年もまた、その記憶を鮮やかに新しくしてくれた。
来年、娘には、私が母に縫ってもらった浴衣を着せてあげようと思う。 そんなことを考えていると、喉の奥にほんの少し苦い思いが込み上げてきた。
子どもの頃の夏祭りの夜。
他の友達は誰一人浴衣を着なかった。せっかく着せてくれようとする母を、私はつっぱねた。自分だけ浴衣姿になるのを恥ずかしく思ったのだ。
寂しそうに「浴衣、かわいいのに…」と言った母の声を、今も覚えている。他の子のことなど気にせず、素直に着ればよかったと、高校生になってから後悔した。
「母ができなかった、『小学生の娘に手作りの浴衣を着せる』という思いが、時を経て、私を通して今、実現したのかもしれない」。それは、意図せずして繋がった、親から子へと受け継がれる無形の想いだった。三年間、毎年少しずつ調整しながら娘に着せてあげられたこと、そして今年は、初めて私の帯を締めてあげられたこと。その全てが、家族全員にとって温かく、幸せな時間だった。
この浴衣を通して、娘には日本らしい季節の移ろいを、五感で味わってほしいと願う。
汗ばみながら私や祖母に着付けてもらった浴衣、下駄のカランコロンという心地よい音。友達と一緒に回り、笑い合った夜店。そして、ドーンと夜空いっぱいに咲いた、息をのむほど美しい花火を見上げたこと。祖父が丹精込めて育てた、甘いスイカの味。 三年という歳月をかけて繰り返した、そんな夏の一夜が、大人になっても色褪せることなく、簡単に思い出せる豊かな記憶となりますように。
時間の流れ、人の人生の儚さ、そして日本の夏の揺るぎない美しさ。ドーンと響く夏の音。どうか、これからも続いていきますように。


