現代造佛所私記No.122「半分の台座 (7)」

【前回までのあらすじ】
仏像工房で春休みのアルバイトを始めた大学生・高木。どこか懐かしい空気が流れる工房での日々に、少しずつなじみ始めていた。

そんなある日、ようやく完成した修理報告書に画像ミスが発覚──慌てる高木たちの前で、静かにお茶を入れ始める事務長。「チーズの穴ですよ」と、語り始めた。

印刷ミスは再入稿することになり、あの日、工房で何が起きていたのかをみんなで振り返ることに。

冷え込んだ春の日、猫をブラッシングする仏師、海外とのミーティング、目薬をさす事務補助──
そんな何気ない場面に、ミスの“兆し”が少しずつ浮かび上がってきて……

「私は、あのあと面談のためブースに行ってしまった。だから事務所内の動きを知りません。その後、二人はどうしていましたか?」

「あ、あの、僕……あの時すごく感心したことがあって」

事務長が無言でうなづく。

「──松田さんが、印刷会社に入稿する条件?とかを事務長に確認してて、”やっておきますよ”みたいなことをおっしゃってて。なんというか、すごくテキパキされてて……。すごいな、いつか自分もこうなれるのかな、とか思ったんですよね。」

「あぁ、書き出し形式とか、印刷の設定とかね…。前の修理報告書と同じ条件でっていうのを確認しよったがよ。あと部数とか。」

松田さんの、まんざらでもなさそうな様子に、つられて頬が緩む。だけど僕は、手元の手帳を見てにわかに緊張した。

通常の工房の入稿手順は、僕の手帳のメモによるとこうだ。

① 仏師さん手書きのデイリーレポート・画像(クラウドで共有)
② ①を松田さんが報告書フォーマットに入れる
③ 事務長・仏師さんチェック。赤ペンが入ると、松田さん修正→またチェック
④ 事務長、データを印刷会社のフォームにアップロード。プレビュー画像を確認→確定

今回、後半の2つの手順が飛ばされてしまった。

あのとき事務長は、データのチェックが途中で、”それもお願いしていい?忙しいのに大丈夫?”って松田さんに声をかけていた。僕は、そのことを口にしなかった。できなかった。

「あのあと、私が面談を終えたのは午後五時。松田さんは、急いで退勤されていましたね。お孫さんのところへ行かれるご予定だったのですよね。」

「はい、そうです。その節は、可愛いベビー服を贈ってもろうて、ありがとうございました。」

「どういたしまして。お嬢様は、その後ご体調は?」

「あぁ、産後すぐの頃に比べれば随分安定はしたがですけど、上の子の世話も家事も夫婦だけではやっぱり大変みたいで。今も買い物や、夕飯を私が週に何度か行きよります。」

それで、あの日も急いでいたんだ、と合点が入った。松田さんは、娘さんと2ヶ月前に生まれたばかりのお孫さんとのところへ早くいくために、仕事を早く終わらせたかったのだ。

「ありがとう。さて……今わかっているのは、午後四時半から午後五時までの間の三十分の間に、台座の画像が半分になった、ということですね。」

事務長がいうと、ちょっとしたミステリーみたいに聞こえるけど、松田さんがデータを預かっている間に起こったことがはっきりした。僕はいたたまれず、手帳から目を離すことができない。

「高木くん、さっき言いましたよね。これが悪かった、誰が悪かったって話にすると、本質を見失う、と。」

「あ、はい!」優しい声ではあるが、事務長に名指しされて、反射的に顔を上げた。僕の考えていることはお見通しらしい。

「事務長が面談に入られてから、私はデスクに戻りました。急いでいたのはたしかですけど、高木くんの喜びようをみて、つい……自分の名前も見とうなったんです。データを確認する前に、画面をスクロールしてみました。それで”あっ、アレ忘れちょった”って気づいて……」

「──ごめん、ちょっとトイレに」

突然、沈黙していた仏師さんが、軽く手刀を切って立ち上がった。猫たちも仕方なく床に降り立ち、仏師さんのあとを追っていった。

このあと、誰も知らなかった”真実”が、思わぬところから浮かび上がる。

(続く)