現代造佛所私記 No.12「清水さんの十二神将」

1000日のミニコラム執筆も12日目。

12と聞いて、皆様は何を思い浮かべるだろうか。

私はなんと言っても「十二神将」だ。

十二神将は、薬師如来および薬師経を信仰する者を守護する天部の仏尊である。

それぞれ、甲冑を着けた武将の姿で表され、頭上に干支を示す動物をいただく姿が特徴だ。

いかめしい姿の武将たちの頭部に、ウサギや犬、ネズミなどがついているところがなんともいえず和んでしまう。

四国には薬師如来が祀られているお寺が多い。必然的にいろんな十二神将に出会える。

江戸時代後半に、清水喜楽あるいは新蔵という名前で、高知のあちこちで修復・製作をしていた仏師がいた。

徳島県宍喰(海陽町)の仏師で、京都で修行したのか「阿洲宍喰住京都六条」と墨書が残っていたりする。

各地に墨書を残し、それだけを見ると非常に意欲的に活動していたようだ。

なんとも味わい深い、おおらかな作風・修理の仕方で、文化財審議委員の方とともに「清水さん」と親しみを込めて呼んでいる。

どの仏師も大なり小なり仕事にクセが出る。清水さんの場合はそれが顕著で、銘記を見るまでもなく「これ清水さんの仕事だね」とわかってしまう。

その清水さんの刀による十二神将が、人知れず祀られているお堂がある。

両掌に余るくらいの大きさの十二神将が、ずらりと並ぶ光景を忘れることができない。

清水さんらしい、なんともユニークなお姿だった。十二体をコツコツと彫ったであろう、彼の姿を想像してみたりする。

「優れた造形」と称される都ぶりのお像も素晴らしい。

一方で、清水さんの御作のような素朴なお像もかけがえがない。

文化財保護の視点で見ると「修理か破壊か?」という場面に出くわすこともあるが、少なくとも清水さんは現代の私たちにバトンを渡してくれた仏師だと思う。

今年の初薬師の日、堂内におわすお薬師様と清水さんの十二神将に、龍笛を奉納してきた。

訪れる人もなくひっそりとしていたが、綺麗に掃き清められ、清々しい風が吹いていた。