現代造佛所私記No.107「慈しみに頼る」

雨の夜だった。学会を終えて富山から車を走らせ、京都に着いた頃には22時を過ぎていた。車のライトに照らされ、闇に小雨が白く舞っていた。

静かな住宅街を北へ進むと、こんもりとした深緑の一角が姿を現した。

この日、私たちは吸江寺(高知市)の玄徹和尚の紹介で、京都の福成寺でお世話になることになっていた。遅い時間にもかかわらず、住職の慈頼師が小走りに現れ丁寧に出迎えてくださった。

磨かれた木の廊下、静謐な空気が満ちていてほっとした。車中でぐっすり眠っていた娘は、うつろな目をしたまま小さな声で「こんばんは」と頭を下げた。

初めてお会いするのに、久々にお会いしたような不思議な懐かしさを感じさせる御方だった。20年以上前に、仏道を志しドイツからやってきたという。

翌日、早朝の薄暗い本堂には、すでに慈頼師が座られていた。叉手をして静かに着座した。

サーっと途切れない雨音が境内を覆う。

心のうちでは、過去の会話の心象、SNSの残像、タスクの断片などが、電源を抜いた扇風機のように空回りした。動力を失ったその回路はやがて勢いを失い、ポトリと落ちていく。

目はぼんやり外界を写しつつ、内側ではそんな心の経過を手を出さずに見守る。そうしているうちに、全ての思考が失速し、とぎれがちになり、「呼吸の音」だけが残された。

静かになった体の内側で、水が静かに満ちていくように、ジワジワ、シュワシュワと、幸福感が湧き上がってくる。

その幸福感は、体の疲れも溶かした。すると、「自分の体」という感覚が失われ、背骨にぶら下がっている肉の認識が残った。

分析の思考が戻ってくるが、動かざること山のごとし、思考は電源オフの扇風機の如しなので、またポトリと落ちる。

これを繰り返し、慈頼師が終了の合図をされる頃には、透明な静けさが体の中心に座るようになっていた。

続けて朝の勤行、その後は朝食。慈頼師が、作法を教えてくださり、食事前の誓願の後、白粥、香の物、焼き海苔を順にいただいた。「食べる」ことと「祈る」ことが、ここではまったく分かれていない。

一通り食事が済むと、「コーヒーを飲みましょう」と慈頼さんが明るい声で言った。

いろんな話をした。10日ほど前にやってきた当工房のドイツ人インターン・Mariekeのこと、現代の僧侶の姿、日本の仏教のこれからのこと。

話は尽きず、あっという間に出発の時刻が近づいた。

「そうだ、本堂の仏像もぜひ見ていかれませんか」慈頼師に促され、私たちは顔には出さないが嬉々として本堂へ向かった。

いくら我々が仏像工房の人間だからといって、勝手に寺の御像に光を当て覗き込んだりはしない。見せてください、とも言わない。だけど、心のうちではぜひ近くで拝ませてほしいと思っていたのを、慈頼師が察してくださったのではないかと思う。

立派な平安の仏様がおわした。応仁の乱、廃仏毀釈といった数々の難をくぐり抜け、良好な状態で護られ続けてきたことに、ただただ感嘆するばかりだった。掌を合わせ、出会いと連綿たる祈りに深く感謝した。

慈頼師は、吉田の仏師としての所感をうなづきながら聴かれていた。

荷をまとめて、部屋の掃除をすませ、しばし境内を散策する。蓮、睡蓮、クチナシ、山椒、桜、ブルーベリー、白椿……東屋と石仏、石畳が調和し、特別な時間が流れていた。

「Auf Wiedersehen, 慈頼さん」

「Auf Wiedersehen!また京都に来るときは、ぜひ寄ってください」

車にエンジンをかけ、国道に向けてハンドルを切るのを合図に、互いに合掌低頭した。

慈頼師は、次の来客を控えて忙しいときなのに、私たちが見えなくなるまで、両手を合わせ、深く頭を下げてくださっていた。

言葉ではなく、存在全てが衆生済度を願う存在、そのような生き方に触れられたことを本当にありがたく思う。

異国の地で、本物の仏道を成ぜんと誠実に暮らしておられることに、深く感動していた。優しいお顔の真ん中で光る瞳と、魂の故郷の人のような懐かしさが、胸のなかで灯り続けている。