背中越しに、クツクツと音がする。
梅シロップを漉したあとの果肉を、吉田がじっくり煮ている。手作りの木べらを片手に、語らぬ背中はすっかり「森の民」らしくなった。
恵の果実を水にくぐらせて、火と鍋で作るおいしい保存食。部屋いっぱいの甘酸っぱい香りに囲まれていると、ターシャ・テューダーの暮らしが連想された。
梅の実は、お世話になっている吸江寺(高知県高知市)の和尚さまが届けてくださったものだ。
境内の梅の木にたわわになったと、ダンボール箱いっぱいお分けくださった。
ふっくらとした実は、氷砂糖に触れてギュッと精を絞り出した。葉の陰で風にふかれていた香りごと、琥珀色のシロップに閉じ込められている。
シロップは、一部はボトルに入れて冷蔵庫へ。残りは冷凍庫へ。残った果肉は、くつくつと煮詰められてジャムになった。
湯気とともに立ちのぼる、甘酸っぱい香り。
「あとは頼めるかな」吉田から、木べらをバトンタッチされた。
瓶を煮沸し、熱々のジャムを流し込む。蓋を鍋つかみでキュッと締めてしばらく冷ますと、蓋がペコンとへこんだ。
遅いおやつの時間に、吉田が再び帰宅した。地元のパン屋で買ってきた厚切りの食パンをトーストし、たっぷりのバターと、まだ温もりの残る梅ジャムを塗った。
「サクッ」
立ったまま夢中で食べるその様子に、見ているこちらまで唾が湧いてくる。
「食べる?」
そう言って差し出してくれたひと切れを、遠慮がちにかじる。
「サクッ」
焦げ目の香ばしさのあとに、とろけたバターと梅の酸味がふわっと広がる。甘さの奥にある微かな渋みが、長く舌に残った。
ひとくち、またひとくちと食べてしまった。2人でそのまま、瓶をひとつ空けてしまいそうだった。
今年は梅が豊作らしい。この香りと滋味があれば、本格的な夏も乗り越えられそうな気がする。
梅のジャムひと瓶は、京都の福成寺へ持っていくことにした。
この福成寺と私たちをお繋ぎくださったのが、梅を下さった吸江寺の玄徹和尚だ。
先月インターンとして来日していたドイツ人Mariekeを、同じくドイツからやってきて得度し、現在福成寺の住職を務めておられる慈頼(ジライ)師に紹介してくれたのだ。
慈頼さんは、滋賀・永源寺の堂前慈明老師のもとで修行された僧侶で、Mariekeも、先日滞在させて頂きとてもお世話になった。まさか、その1週間後に私たちもお世話になることになるとは思わなかった。
このご縁に感謝して、法友の庭で育った梅と南国の景色をぎゅっと詰めて届けに行く。
ともに座る朝を楽しみに。