神社仏閣や伝統文化に息づく、文化や文化財を軸とした人々の生(なま)の声や姿、「今」起こっている出来事や思いを、さまざまな媒体を通じて多くの人と分かち合いたい。そしてそれを記録として未来に渡したい。
この思いが、当工房で展開しているPR事業を動かしている。
それぞれの発信は、小さな座標のようなもの。いずれそれらがつながり、大きな地図となって、どこかの誰かの人生のコンパスになる–––そんな未来を思い描いている。
これまで当工房で取り組んできたPRは、仏像を中心にした、人々の物語を紡ぐ試みでもあった。
例えば、当工房で開催された「1000ねんごのきみへ」。
これは、地元の小学生や檀家の子どもたちを工房に招待して、昔から伝わる地域の仏像(未指定)の話をお坊さんや仏師から聞き、像内におさめる墨書をしたためるという寺院との協働企画だった。
「1000年先の未来の人に何を伝えたい?」
親も、自分も、友達も、確実にいなくなった先の途方もない未来。子どもたちは、そんな遠い未来のことを想像したことがなかったようだ。
だけど、目の前の仏像が既に800年くらい前の人との繋がりを具体的に示している。「大きい!」と像を見上げた子どもたちは、いざ和紙に向かうと迷いなく筆をとっていた。
昔々から息づいて、地域で代々手渡されてきた実存。その御前で和紙にしたためたという体験。
「あの仏像の中に、自分がかいた未来への手紙がある」という事実はきっと、成長してから、何かの折に友人や家族に語ることもあるだろう。「その時のニュースがこれだよ」と、情報を取り出すこともできるだろう。
その孫がそのまた孫に、「あの仏像の中にはね」と語り継がれる時。
そのとき、かつての「1000ねんごのきみへ」は、きっとコミュニティにとって小さな灯火となっている。
そんな小さな物語の一つ一つは、語り継がれるうちに新たな登場人物を呼び寄せる。いつか、あなたも、あなたの子孫も、そのひとりになっているかもしれない。
3年前、吉田が新聞記者からの質問に、なんと答えたか。本人も忘れてしまったその記憶が、執筆中にうっすら蘇ってきた。
「文化財がない未来を想像してみてください」
吉田は、確かそんなことを言っていた。
過去からやってきた文化財たちは、長い昔話をしながら、常に私たちに未来を問うている。
補足:本コラムにおける「文化財」という言葉について
本稿では「文化財」という言葉を、国や自治体による指定・登録の有無にかかわらず、日本の長い歴史の中で生まれ、育まれ、今日まで人々の手で守り伝えられてきた文化的な財産という意味で用いています。
たとえば、地元に伝わる仏像や祠、地域の祭礼にまつわる品々、名もなき職人の手による道具や建物など、たとえ文化財として指定されていなくても、人々の暮らしの中で深く敬われてきた存在には、歴史的・精神的な価値が宿っていると考えています。
仏像を「文化財」と呼ぶことに対しては、「信仰の対象への畏敬を欠くのではないか」というご意見があることも、私たちは重く受け止めています。
そのうえで、本コラムでは、「祈りの対象として尊崇されてきたかけがえのない“かたちあるもの”」として、その存在に最大限の敬意を込めて、「文化財」という言葉を用いております。