現代造佛所私記No.101「文化財と物語 (1)」

「なぜ文化財は守らないといけないんですか?」

3年ほど前、吉田は工房前で囲み取材に応じていた。製作は鎌倉時代に遡ると見られる仁王像の修理について、ある大手新聞社の記者からそう訊ねられた。

ふと思い出し、今日夫婦で話題になったのだが、吉田本人は、なんと答えたかを覚えていないという。

その問いは、記者自身の疑問というよりも、世間一般の声を代表してあえて投げかけられたものだったと思われる。

多くの、特に地方の寺院では、過疎や少子高齢化で檀家が減り、財政基盤も心もとない現状にある。

物価高や燃料費の高騰、苦しい生活を映すニュースが連日流れる今、仏像の修理に数百万、時に一千万円を超える資金を投じるということは、一般消費者の感覚からすれば理解しがたい面もあると思う。

人口減で祭りもなくなり、御堂を維持できなくなると(お堂じまい)、別な寺に仏像が移されることも珍しくない。有形文化財として指定されている場合は、教育委員会が預かっていたりするケースもある。

維持管理の大変さがクローズアップされ、“負の遺産”として語られることすらある。

それでもなお、守りたいと思う人がいる。

「私の代でなんとか次に引き継ぎたい」
「子どもの時から親しんできた仏様を、なんとか綺麗にしてやりたい」

「なぜ守る?」という問いすら必要としないような、産土と祖先、そして子孫との間に交わされた「約束」のようなものが、そこにはある。

個を超えた文脈の中で、いつの間にか芽生えている約束のようなもの。それはもしかしたら、遠い昔に立てられた、誰かの小さな誓願に遡るのかも知れない。


(2)へ続く