梅雨前の匂いと蛍の夜

温湿度計を見ては「いつ梅雨入りするか」とソワソワしております。皆様のお住まいの地域はいかがでしょうか?

私たちが暮らす山間の集落は、例年であれば朝は辺り一面真っ白なモヤに包まれ、湿度計は90%を示すような時期です。ところが、今年は「風薫る水無月」といった様相で、先月から湿気対策を講じていたので肩透かしを食らっております。水不足を心配する一方、正直なところ大切なお像にカビが生える心配がないのはありがたいです。環境にも御像にも程よい梅雨だと良いですね。

現在この辺りは9世帯の小さな集落ですが、1950年代までは病院や保育所、学校もある賑やかなところでした。燃料が木炭からプロパンガスに本格的に移行した頃に多くの住民が山を降り、海岸に近い国道沿いを中心に定住しています。昔を知る人は本当に少なくなりました。「あと10年もつかどうかだけど、どうにか盛り立てていきたい」そんな話しをときどき聞きます。

感染予防のため住民同士でしゃべる機会が減ってしまいましたが、世間話ながらとても貴重なことを伺っているなと感じます。「この辺で代用燃料作りよったらその上を戦闘機が飛んでいきよったん見たわ」「朝出て赤岡らぁまで歩いていろいろ買うてくるやろ、帰りは背負うた荷物が重うて重うて。帰りついたらもう辺りは真っ暗よ」など、特に戦中戦後の話は、今聞かねば・伝えねば消えてしまうものばかりです。「聞き取り調査の訓練を受けていたなら、後世に残せるものがあったかもしれない」と悔やんでも詮のないこと考えたりします。

この時期によく話題に登るのは、畑のことや草刈りのこと、そして減ってしまった「蛍」のこと。

人が減って蛍には住みやすくなったかと思いきや、そうでもないようですね。原因はいろいろあるのでしょうが、LEDの街灯が原因の一つではないかと言われてます。

そのことを伺ってから、小川のほとりに私たち家族が引っ越してきたことで蛍が余計に住みづらくなっているのではと心配しておりました。そこで、今年は蛍の現れる時間帯は小川に面した部屋は消灯し、ソーラーライトを撤去しました。

昨年はこの時期に連日大雨が降り、蛍の姿がまったく見えませんでしたが、今年は天候が安定していて(明かりを消したこともよかったのか)、4〜5匹確認できました。少ないながら元気に飛んでいます。

この蛍。
蛍の光を見ると、初めての設立記念日を思い出します。

設立7年目を迎えて

「まずは5年がんばろう」と夫婦2人で事業所を東京で立ち上げ、1年も経たないうちに東京から高知へ移転。先が見通せないまま走り出した事業でした。吉田仏師は造仏のキャリアは30年以上、修理は15年でしたが、どうやって仕事を探すのか、事業所をどのように運営するのかについては初めてで、私はというと看護師と個人秘書の経験しかありません。何もかもが手探りでした。

当然のことながら、業界の風土や商慣習への無知からの失敗の数々、そこに新生児との生活が始まり、よく眠れない、なんとなく体が苦しい、そんな日々を過ごしておりました。

設立して1周年を迎えた2017年の6月、蛍を見たことがなかった吉田仏師を川辺へ誘いました。吉田が珍しがって喜び、徒歩40分かけて連日見に行ったものです。幻想的な蛍の光を眺めている間は、未来への不安や体の不調も忘れました。

あれからなんとか息継ぎしながら泳いできて、気づけば設立7年目を迎えました。

現在も順風満帆という状況ではありませんし、むしろこれからが厳しいと覚悟している現状ですが、皆様と積み重ねてこれたことに心より感謝申し上げます。皆様とのご縁は神仏の御加護そのものと観じております。

これからも、造像・御修理のご相談はどうぞお気軽に。小さな事業所ゆえ、ゆっくりじっくりではありますが、仏像の製作・修理を通して皆様の祈りや希望、願いを形にするお手伝いをさせてください。ご連絡をお待ちしております。

今はただ 数へるほどの 蛍にも 委ね歩かば 道はひらけむ

かそけき光、されどどこかひょうげたその軌道に、自分達の来し方を重ねて。


設立記念に蛍の光、少し湿った夜風の匂い。
6月は、しっとりとした夜を味わいながらまた一つ扉を開ける、そんな節目の月なのです。

吉田沙織