それが何か知らずに出会う

11月は茶人のお正月

炉開とともに、今年の新茶を口にできる喜びを分かち合うことから、11月は「茶人の正月」と言われるのだそうです。

高知で表千家の先生にご縁をいただき1年程。
今月のお稽古では、床の間に華やかに彩られた茶壺が飾られ、松竹梅の尾戸焼のお碗を楽しみました。

「こんな風に年を重ねたい」と思わずにいられない可憐さと艶をたたえたT先生(80代)は、先生を指導される先生でいらっしゃいます。

月に一度のお稽古は、それぞれが教室を持っておられる先生方に混じって、「半畳三歩よ」「立てる?」からのスタートでした(というか今もその状態・笑)。

皆様のお邪魔をしているのでは…という心配を包み込んで溶かすように、先生や先輩方が根気強く温かく、繰り返し教えてくださいます。

 

「これは何に見える?」

お道具を前に、T先生に聞かれたことがあります。

(一体、これはなんだろう?)
知識も経験もないところから、お道具を拝見する心細さ。

「考えないで心と体に移すように」という指導の下、その所作にどんな意味があるのか知らないで振舞う心許なさ。

その一方、新しい扉を開くようななんとも言えない感覚があります。

目の前の道具が、誰に作られどんな用を果たすのか、
その動きにどんな意味があるのか?

知らないからこそ見て触れ動くことで起こってくる情感があり、その感覚を起点にお茶を点てたり服すと、気付かされることがあります。

所作が洗練されていたり、道具が美しいのは、たくさんの人の深い思いやりの心が込められているからなのだということ、お茶を点てる短い時間のために、常日頃から心が配られていること…

シンプルでありながらどこまでも奥深い茶道は、それまで見逃していた様々なことを教えてくれます。

今朝は、自宅のお抹茶も新しく封を切り、茶人の正月気分を少しだけ味うことに。

一碗のお茶にたくさんの人の関わりを思い、一層風味豊かに感じた朝でした。