仏像がつなぐ集落の記憶

※本修理に関する記事は、ご許可いただいた範囲で情報公開させていただいたおります。

2018年3月、法要にご招待いただき高知県のとある山間部へ伺いました。

昔林業で賑わったその集落は、携帯電話も繋がらないような奥地にあり、今はほとんど人がいません。

そんな山間で道を間違え、迷ってしまった私たちがなんとかお堂に到着したのは、すでに法要が終わった後のこと(ご心配・ご迷惑をおかけしました…)。

今回はお像の調査を兼ねてのお伺いでしたので、早速拝見したところ、写真のようにお顔も手足も失われた痛々しいお姿でした。

光背は1/3失われ、台座もほとんど残っていませんでした

この状態では如来像ということだけしか分かりませんが、地元に伝わるお話からお薬師様とのこと。

その話をしてくださる土地の生活を知る人も皆50代以上。子供さんたちは別の場所で生まれ育ち、それぞれの町に根を下ろしています。

将来このお像は誰が守っていくのだろうと心配する私たちに、住職は大丈夫と確信めいた様子で「修理をお願いします」とおっしゃいました。

 

お預かりして5ヶ月間。

足りない箇所を補い、虫食いや朽ちた部分を埋め、当初の木地に合わせた色合いで仕上げました。

制作年代は江戸時代と思われたので、お顔は当時の作例を参考に
当初の色合いに合わせて水干絵の具を混ぜて着色
木の経年変化を辿るように色を重ねました

夏の間に無事修理を終え、開眼供養のため再びお堂を訪れました。
連日の雨模様で、空が心配される日でした。

「この辺りに田んぼや家があったなんて信じられないでしょう」

願主様のお言葉です。
その言葉を否定できないほど自然に還った様子ですが、美しい豊かな集落だったに違いありません。

お預かりしたのは春でした
御魂抜きの後、皆で山菜とり。童心に帰って山中を歩いたひと時が忘れられません

この日、願主がさらに一人増え、二人増え、修理銘を書き直すことになりました。

「これから何百年も残っていくからね」
住職はさらっとおっしゃったのですが、願主様にとって深く沁みるお言葉だったのではないかと思います。

分断されそうになったこの土地での営みが、仏像修理を透して未来に繋げられた、その瞬間に立ち会った気がしました。

修理報告書をご覧いただきながら工程を説明する吉田仏師
願主さまお一人ずつに報告書をお渡ししました

皆で読経し手を合わせての開眼供養。
法要が執り行われる間、不思議と雨は上がっておりました。