「坐禅せばや」大槻老師を偲んで

大夜式の日、我が家に初めて咲いた蓮の花

6月28日、梅雨盛りの候。
前日まで雨だったのがうそのように、この日だけぽっかりと青空がのぞいていました。

曹洞宗・城満寺(徳島県・海陽町)で執り行なわれた、月山哲哉大和尚の告別式。
荼毘式に参列した人が、三々五々に帰ろうとしていました。

ご供養の香り残る本堂の前から、何とは無しに東堂寮に目をやったとき、微かながら確かな記憶が蘇りました。

「あっ、あの瞳…!そうだ、この方にお会いしたことがあった…」

右手前が東堂寮。その奥が座禅堂。記憶が開いた途端、景色が彩りが増して見える不思議

名刹復興再建への険しい道のり

ここは徳島県南部の曹洞宗の古刹、城満寺。

1295年に曹洞宗の太祖・瑩山禅師により開山された寺院です。
曹洞宗では9番目に古く、四国では最古の禅寺と言われています。

由緒ある寺院ですが、戦国時代から350年もの間廃寺となり、大正時代に復興されてからも長く無住の時代が続きました。いまの姿からは想像もつかないほど荒れていたといいます。

その城満寺の再興を託されたのが、月山哲哉大和尚大槻老師でした。

昭和44年(1969年)8月にご住職となられた後、全国の宗門を托鉢して周って復興と坐禅に身命を捧げた結果、ここに現在の美しい伽藍が現出します。

しかし平成19年、老師は大怪我をされ、以降11年の療養生活に入られました。

 

重なり結ばれた糸

私が四国の南東部で生まれ育ったのは、大槻老師が托鉢行脚をされていた頃。
城満寺の存在を知らずに育ちました。

社会人になって、母から「海部の奥にええお寺があるの知っとる?帰省したら行ってきたら」と言われたり、ご奉仕させてもらった等、お寺について耳にするようになりました。

御本山、大槻老師、地元の人の力で城満寺の名前が徐々に広がりつつあったのです。

当時は伺う機会に恵まれなかったものの、特別養護老人ホームに入所した祖母を見舞いに行くたび見かける男性がいました。お身体が不自由なのはすぐわかりましたが、透き通るような肌と、輝く瞳が只者ではない雰囲気のおじいちゃん、といった印象でした。

その人こそ、大槻老師だったのです。

告別式も全て終わってから気づくなんて…
老人ホームで出会った大槻老師の瞳が、今になって改めて心に焼き付き輝きを増しています。

大槻老師との再会と、田村現住職との出会いはさらに数年後。
この邂逅は、私たち二人の恩師によってもたらされました。

東京から四国にUターンするに当たり、永平寺西堂でいらした奈良康明先生から「引っ越し後の禅道場を紹介しましょう」とありがたいお言葉いただいて、たどり着いたのが城満寺。

さらに、お世話になっていた弓道範士H田先生と奥様から「あなた達にピッタリ」と教えていただいのも城満寺だったのです。

その後、参禅したり、お寺のイベントに参加するだけでなく、田村住職ご家族には弊所工房へお越しいただくなど、家族ぐるみでおつきあいさせていただくようになりました。

お姉さんに手を引かれて。 広いお寺で存分に遊んだよ。

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時には、大槻老師が坐禅を大変大切になさっていたこと、御本尊があっての建物だとおっしゃっていたことなど、昔のエピソードを聞かせていただくこともありました。

大槻老師「坐禅の歌」。署名の後も歌は続き、”坐禅せばや”と締めくくられる

大槻老師がご遷化までお寺で過ごされることになったと連絡をもらったのは6月22日。病院からは「あと2週間」と言われていたそうですが、「一刻も早く」と突き動かされるように翌6月23日早朝、療養されていた東堂寮に伺いました。

ご遷化の報せを受けたのはその翌日でした。

告別式では、本堂前の一角に、大槻老師のたくさんのお写真が展示されていました。

法隆寺宮大工の西岡常一棟梁の弟子・小川三夫さんとのショット、地元の皆様との集合写真、そして次第に命を吹き込まれて行く境内の様子…

およそ40年の足跡に圧倒されていると
「…この人はほんまの坊さんやね」
と、海陽町在住の男性が、声をかすかに震わせながら話しかけてくださいました。

田村住職がお話されるには、療養中も隣の僧堂で坐禅の音がすると、慈愛に満ちた御目を伏せられ、ご自身もご一緒に坐禅を行じておられた毎日だったとか。

険しい城満寺再興の日々を伺うにつけ、なんと厳しい人生を歩まれたのかと言葉を失う程でしたが、老師の「坐禅の歌」を紐解くと、「法悦こそ唯一の生命」の言葉がひときわ輝いて見えてきました。

僭越ながら、大槻老師は、常に深い喜びを内に湛えられていたのではと思えてなりません。

遷化されてなお

荼毘式の翌日。
梅雨らしい柔らかい雨が降っていました。
肩が濡れて傘をかしげた瞬間、啓示的なものが私たちにやってきました。

「この雨にも大槻老師が在らせられる。命は循環している一つのものである」

直接お会いしていなくとも、その威徳に長年守られ導かれていたこと、遷化されてなおその恩恵に預かっていると感じます。

地元の人に多大な影響を与え、世界中から人が集まるお寺となり、禅道場として息を吹き返した城満寺。

これから何年、何百年とこの城満寺で法灯が絶えることなく護られていきますように

造佛所として、また仏様をお慕いする者として、そのご遺徳に少しでも報いることができますように

諸仏出世の本懐は、仏の智見に開示悟入せしめんが為に 世に出現ししたもうたのであります 仏の智見とは即ち坐禪の事であります (略) 世界の平和と人類の和合を希い坐禪をしましょう  城満寺住職 大槻哲哉 合掌

(文・吉田沙織)