「白湯?ただの湯?」
一日の終わりに最後の白湯を飲みながら思い出す。今から11年ほど前になる。
晩秋に富山の木彫家の師匠宅を訪ねた時、飲み物を勧められた。コーヒー?紅茶?と訊かれて「お白湯がありがたいです」と応えた私たちに、奥様が不思議そうに繰り返された。
「はい、何も入れない、お湯を」
毎日白湯を飲むというのが、私たちの習慣であった。
「仏師は白湯を飲むんよ」
師匠が奥様に説明されたのを聞いて、夫と顔を見合わせた。私と出会ってから白湯を飲むようになった夫は、初耳だったらしい。仏師の師匠が白湯を飲んでいた、ということもなかったそうだ。
私が白湯を飲む習慣が元々あって、夫も何の気はなしに取り入れた習慣だった。
ごく自然な成り行きで習慣になった白湯を好む生活を、師匠に「仏師らしくなった」といわれたような気がして、仏師本人でもないのにちょっと口元が緩んだ。
奥様が見送りの際、マーラーカオ(馬拉糕)を持たせてくださったことも思い出された。優しい甘さが、白湯によく合った。
その後、師匠と私はフェイスブック友達になり、夫を介さず交流させていただくようになった。
3ヶ月前の中学校の授業の写真もお送りした。すると、師匠がこんな言葉を送ってくださった。
「私の誇れる弟子であり、井波彫刻の全国代表でもあると思っています。」
夫には直接はおっしゃらない。遠方のふるさとにいる父親のようであり、同志であり、いつまでも夫の師匠でいらっしゃるのだ。
さて、空になったグラスが、すっかり冷えた。

